荒川に浮かんだ“首と手足のない遺体”…「被害者は現職の警官ではないか」との情報に捜査本部が揺れた昭和27年「複雑怪奇な猟奇事件」
京都の男児遺体遺棄事件でも注目されたが、行方不明事案が発生すると、警察はまず「不明者と最後に接触した人物」を重要視し、捜査を進めていく。家族や職場の同僚など、身近な人物が多くなるが、ファーストコンタクトで“違和感”があった場合……昭和27年に発覚した「荒川放水路バラバラ殺人事件」を紹介する(全3回の第1回)。
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バラバラ遺体が!
「川にお化けがいた!」
昭和27年5月10日正午過ぎ、東京都足立区本木町の荒川放水路の入り江に、不審物が浮かんでいるのを近くに住む少女(7)が目撃した。「お化け」という言葉に、これはただ事ではないと思った靴職人の青年(20)が現場を見に行くと、地元では「日の丸プール」と呼ばれている入り江に、油紙に包まれた不審物が浮かんでいた。荷造り用の麻縄で横に三か所、縦に一か所で結ばれたその中身は、首と手足がない男性の胴体だった。
胴体は十数枚の新聞紙に包まれ、その上に油紙が巻かれ、さらに麻縄で縛られていた。一報を受けた警視庁西新井署は、警視庁本部に至急報。ただちに捜査第一課長や鑑識課長以下、捜査員が現場に臨場した。検死の結果、
〈(1)首は鋭利な刃物で切り取られ、左足はノコギリ状のものを使って骨まで切っている。右足と両腕は肉を刃物で切ったうえ、付け根の関節からすっぽり切り取っている。(2)小肥り型で普通人よりやや大柄な方で推定身長は165~166センチくらい。(3)ホクロや傷あと、お灸のあとなど、これといった特徴はない(4)毛は薄い〉(近藤昭二著『捜査一課 謎の殺人事件簿』二見書房より)
また、死体を包んでいた新聞の日付は前年の3月17日と、本年の5月4日。うち、3月は大阪と東京で発行された朝日新聞と毎日新聞、5月は東京発行の毎日だった。もしこの新聞が犯人の購読している新聞なら、昭和26年3月以降に大阪から東京に移り住み、27年5月4日以降に、被害者が殺された可能性がある……西新井署に設置された捜査本部には捜査第一課から10名、西新井署の刑事12名、計22名の捜査員が集められた。
バラバラ事件の難しさだが、身元が判明しないことには、なかなか捜査は進まない。遺体発見の翌5月11日には東大病院で司法解剖も行われ、被害者は死後に切断され、肋膜炎を患った痕跡もあることが分かった。捜査第一課は現場付近だけでなく、荒川領域を管内に持つ埼玉県警察と群馬県警察に対しても、家出人や行方不明者の調査依頼を行う方針を検討していた――その矢先だった。
5月15日。先に胴体の発見された“日の丸プール”の対岸300メートルの下流で、新聞紙にくるんだ頭部が発見された。胴体と同じく新聞紙と油紙にくるまれており、麻縄で十字に縛られていた。
〈時間がたっていたせいか、わずかに破れた紙の隙間から緑色に変色している顔面の一部が見えた。検死の結果、(略)麻縄が両眼の上に平行にかけられていたため、腐敗で膨張した顔面からは眼球が飛び出している。このため、目の特徴を確認することはできなかった〉(同)
外傷はないが、この頭部から死因が絞殺であることが推定された。被害者は舌を強く噛んでいた。絞殺死体の特徴である。長時間、水中に浸かっていたことから頭部は膨張し、原形をとどめていないものの、被害者が身元不明者である可能性も視野に、似顔絵とモンタージュ写真を作成することになった。
既に事件は大きく報じられており、この連載の第15回でも紹介した昭和7年の「玉の井バラバラ殺人事件」、同9年の「人間コマ切れ事件」に次ぐバラバラ殺人ということもあり、西新井署には多くの情報が寄せられ、世間の関心と比例して報道も過熱していた。
捜査の常道として、まずは頭部の写真を各警察署に“内部手配”し、行方不明者など対象者がいないかを探る。そこで“当たり”がないようなら、似顔絵やモンタージュ写真を公開して、広く情報を募る……のだが、この事件の場合、内部手配の段階で意外なことが分かった。
被害者は現職の警視庁警察官ではないか、という有力な情報が得られたのである。
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