デジタル教科書の押しつけは「学力低下」を招く… 北欧の失敗から学ぶべき教訓

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「国論を二分する」くらいの議論を

 おそらく、デジタル教科書は利用の仕方次第なのである。デジタル教材と学力との関係において、各方面から指摘されている点を、以下にいくつか書き出してみる。「注意力が散漫になる」「デジタル機器の利用時間が長いほど、学力テストの正答率が低くなる」「自分で考える力が低下する」「学校でコンピューターなどを使う時間が長くなるほど、読解力や数学の成績が下がる」「筆記能力が低下する」……。

 こうした指摘は根拠がないことではない。例を挙げよう。かつては「ノートを手書きすることで内容が整理され、頭のなかに定着する」と繰り返しいわれたものだが、デジタルでタイピングしたりコピーしたりする学習では、このプロセスが失われてしまう。スクリーン上での読書ばかりになると、長文を深く読み込む能力は低下しかねない。即時フィードバックが当たり前のデジタル用教材では、試行錯誤する過程が省略されてしまうので、思考力を深められず、問題解決能力にも支障をきたす――。

 しかし、だからデジタルを排除するのでは、全方位的にデジタル化が進むいまの時代に対応できないし、デジタルの長所も享受できなくなってしまう。

 たとえば、教わったことを定着させるために、手書きのノートと併用するとか、ペンを利用した手書き入力を推奨するとか、デジタルとアナログを併用する方法はあるだろう。思考力を深めるために、ディスカッションの機会を深めるのもいい。要は、デジタル教科書を採用する場合は、その欠点が出やすい方向については、穴埋めの方法をしっかり担保し、デジタルとアナログをうまく使い分けることが必須だと思われる。

 それができれば、デジタル教科書の導入は、むしろ学力の向上につなげることもできるかもしれない。

 だが、いま述べたようなことが十分に検討されない段階で、デジタル教科書を正式な教科書にするのは時期尚早だろう。ましてや、紙とデジタルそれぞれの長所や短所があぶり出される前に、選択を各教委に丸投げするなど乱暴すぎる。

 子供たちの将来、ひいては日本の国力にも直結する問題である。十分な学習効果を得るにはどうするのが最適なのか。それこそ「国論を二分する」くらいの議論が行われるべき問題のはずである。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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