「重光葵」が降伏文書の調印式前によんだ和歌、「M・モンロー」宿泊に大騒ぎ…「帝国ホテル」従業員が語る“あの日あの時の日本”

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ハリウッド映画化を断った「内幕本」

「モーリスは日本人に嫌われていただけではなく、進駐軍の連中にも好かれていませんでしたよ。自分より位の上の人にはペコペコして、部下を平気で踏みつぶす人でした」

 というのは、日系二世で当時モーリスの秘書役のような仕事もやり、のちにパレスホテルの料飲部長をつとめた中村孝(63)である。

 そのペコペコが功を奏したのか、モーリスは滞日中に大尉になったばかりでなく、キャンベル少将の娘(当時、極東裁判のウェッブ判事の秘書をしていた)と結婚して1951(昭和26)年に帰米したが、帰国後、自分の滞日体験記を『The Wise Bamboo』という本にまとめて出した。

 この本は小説仕立ての、なかなか気の利いた読み物だが、その中に一個所、気になる記述が出てくる。孔雀の間で毎週土曜に開いていたディナーパーティーで、あるとき、舞踏団の一員に加わっていたブーブー・シノザキという服を脱ぐダンスの踊り子が、約束に反して、それを実演してしまったというのである。

「いよいよダンスの終りが近づき、薄長い布を、ただ一枚だけをまとっているだけになった。その布が落ちれば、わたしもこの帝国ホテルにおさらばかと観念した」(服部達・訳、1954年出版の邦訳本『帝国ホテル』コスモポリタン社より)

 が、この瞬間、停電になって救われたというのだ。もしこの話が本当なら、ブーブー・シノザキは、帝国ホテルでその手のダンスを披露した唯一の踊り子ということになる。だが、そちら方面の古い関係者に尋ねても、誰もブーブーの名前は記憶していないし、中村孝も「あの本は嘘ばかり書いてある、どうでもいい本なんです」と言い切るのだ。

 後年、この読み物を映画にしたいとハリウッドから関係者が折衝に来たが、大丸徹三は断固としてことわったということである。

モンロー宿泊で大騒ぎ

 接収解除後第1号の宿泊客は、ヘッセル・ティルトマンという英紙の特派員だったといわれているが、この解放気分をいかにも象徴的に表した事件は、1954(昭和29)年に夫のジョー・ディマジオと来日したマリリン・モンローの宿泊だった。

「戦後いらした方の中では、何といってもマリリン・モンローさんでしたね」

 とVIP客室係の竹谷年子もいう。

「女優さんというよりも、物思いにふけったように静かに廊下を歩くしっとりとした方でした。244と245のスイートにお泊まりになりましたが、ひと目彼女を見ようという群衆で、すごかったですね。彼女がベランダに出て来たのを見ようとして、池に落っこちた人が何人もいたのですから」

 このあいだまで軍人たちの宿舎だったところに民間人が、しかも絶世の美女が降り立ったのだから、興奮するのも無理はない。これでやっと、帝国ホテルも、いくらか身近なものに思われるようになったのだった。

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 大地震が襲来したのは、まさにその時である――。第1回【「調理場にいたら関東大震災」「ベーブ・ルース夫人はお綺麗だった」…歴史の舞台「帝国ホテル」従業員たちが語る“あの日あの時の日本”】では、ライト館お披露目の日に発生した関東大震災などについて、従業員たちの貴重な証言を伝える。

デイリー新潮編集部

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