「調理場にいたら関東大震災」「ベーブ・ルース夫人はお綺麗だった」…歴史の舞台「帝国ホテル」従業員たちが語る“あの日あの時の日本”

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ライト館は強い揺れにビクともせず

 かつてライト館1階のバーでシェーカーを振っていた池之平勇吉(77)も、この大地震を経験した1人である。

「私はその年の6月、鹿児島から出て来て17歳で帝国ホテルのバーに入ったばかりでしてね。卵か何かを調理部に取りに行かされて、ちょうど調理部の真ん中に立っていたとき、来たんです。揺れたと同時に電気が消えて真っ暗になりました」

 犬丸の本によると、油の入った大鍋の載っている電気炉を消すために、変電室に走ってメインスイッチを切らせたのは犬丸自身だったということである。

「怖いも何もない、四つん這いになって必死に外に出るだけでした。すぐ前にあった東京電力の木造3階建ての建物が、よう燃えてました。水も出ないし、ただ燃えるのを眺めているだけでしたよ」

 幸いにして帝国ホテルは火も出さず、類焼もまぬがれたが、それよりももっと評判になったのは、マグニチュード8の揺れに対して、ライト館がビクともしなかったことだった。耐震には自信があると豪語していたライトの言葉が見事に証明されたわけだ。

 しかし、こういう劇的な船出を飾った建物だったにもかかわらず、ライト館はどこか陰気で不吉なイメージが付きまとっているという見方をする人も多かった。それはライトの暗い過去を反映しているからだと指摘する人もいる。

 1914年、ライト自身が設計した山荘で、前夫人と2人の子ども、弟子達の計7人が惨殺された事件である。不在のため生き残ったライトが帝国ホテルの仕事を引き受けたのは、この事件から2年後のことだった。

従業員たちが見たホテルの裏側

 とはいえ、古き良き時代も激動の時代も、みんな眺めて来たのはこのライト館だった。

「私は帝国ホテルが最初に女子社員を募集したとき、500人くらいの中から採用された15人の1人でした」

 というのは、1934(昭和9年)に入社した竹谷年子(75)である。

「VIPの客室係に配属され、初めにお泊まりいただいたのがベーブ・ルースさんでした。まあ立派なブルドッグみたいな方で、奥さまはメリー・ピックフォードという有名な女優さんで、とてもお綺麗な方でしたねえ」

 西澤繁太郎(67)は1935(昭和10)年の入社だが、これも初めての男子社員公募に応じたものだった。およそ1500人の応募者の中から、たった5人しか採用されなかったのだという。

 その中の1人で、

「裏方の仕事ではナイフ磨きをよくやらされたけど、当時のナイフは鋼鉄製なので、手動の機械を動かしているうちに手が真っ黒になり、いやな仕事だった」

 と愚痴をいいつつも、

「月給は17円だったけど、私はルックスが良かったので、他のボーイよりチップをもらう回数がずっと多かった」

 とチップを稼ぎまくり、1年後に新築地劇団に転じて行ったのが田足井重二、後の俳優・多々良純(67)である。

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 帝国ホテルには鎮圧部隊の本部が――。第2回【「重光葵」が降伏文書の調印式前によんだ和歌、「M・モンロー」宿泊に大騒ぎ…「帝国ホテル」従業員が語る“あの日あの時の日本”】では、二・二六事件、ミズーリ号に赴く前の重光外相から贈られた和歌などについて貴重な証言を伝える。

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