馬に睡眠薬、役者がスト、二日酔いで撮休…名優「仲代達矢」が見続けた“ピカソみたいな黒澤明監督”と“壮絶な撮影現場”
黒澤監督との縁は30年以上
第1回【「なんだよ、お前」憧れの黒澤明監督から強烈ダメ出し…「仲代達矢」が悔し涙を飲んだ「七人の侍」撮影、それでも縁が続いた理由】を読む
黒澤明監督の名作「七人の侍」が封切られたのは1954年4月26日のこと。2025年11月に死去した仲代達矢さんは、出演時間わずか2秒のエキストラだったにもかかわらず、撮影現場でNGを連発したという。
「七人の侍」から始まった黒澤監督との縁は30年以上に及ぶ。「用心棒」(1961年)や「椿三十郎」(1962年)、「天国と地獄」(1963年)と続き、「影武者」(1980年)と「乱」(1985年)では主役を演じた。「週刊新潮」のバックナンバーから、生前の仲代さんが同作と黒澤監督について赤裸々に語ったロングインタビューをお届けする。
(全2回の第2回:以下「週刊新潮」2014年5月1日号「NG連続から始まった『黒澤明監督』との縁」を再編集しました)
***
【写真】まさに美丈夫…若き日の「仲代達矢」もハンサムすぎる!
「卯之助のマフラー」誕生秘話
「用心棒」では、僕は卯之助というヤクザの役だった。もともと、黒澤監督は絵描き志望でしたので、衣装の見栄えには大変に拘りを持っていました。衣装合わせには1カ月くらいを費やし、卯之助は着流しに拳銃というスタイルになった。けれども、監督が、
「キミ、衣装が合わないねえ。首が長いんだよ」
と、ずっと不満を漏らしていました。ある日、「これを首に巻け」と手渡されたのが、赤いチェック柄のマフラーだった。のちに、卯之助のマフラーは衝撃的だったと評判になりましたが、とどのつまり、僕の首の長さが原因だったというわけです。
「用心棒」では、「七人の侍」とは違って、一度もNGやダメ出しをされた覚えはありません。元来、黒澤監督は、主役の三船さんには何も言わず、どの現場でもやりたい放題にさせて、その演技を撮影するという手法を取っていました。
「役者が面白く演じられなければ、その映画は失敗」
それが、黒澤監督を始め、当時の映画監督の考え方でした。
「用心棒」の撮影を終えると、すぐに黒澤監督から、「今度はヤクザじゃなく、武士だよ」と、続編となる「椿三十郎」の出演を依頼されました。
[1/3ページ]


