【インタビュー】70歳・内藤剛志が頑なに守る“信念” 浜田雅功への「師匠」呼びと、激しく嫌う2つの言葉
上下関係はつくらない
大学は日大芸術学部映画学科へ。自主映画をつくりたかったからである。入学後は授業そっちのけで映画づくりに熱中。1970年代半ばから80年代前半にかけ、早大の室井滋(67)とともに学生映画界の大スターとして名を馳せた。
「大学に入る前から会社組織の中で何かやろうという考えがほとんどなくて。ゼロから自分で物をつくる仕事をしたかった。組織に入るより、やりたいことをやりたかった」
自主映画づくりは「面白かったですよ」と、うれしそうに振り返る。
「自主映画出身の強みって、大きいと思うんです。ルールは自分で作る。その代わり責任も自分で取る」
内藤は自分のルールの一例として、出演者、スタッフに序列を絶対に付けない。自主映画は参加する誰もが対等。その考えを今も貫いている。
「俳優も照明部さんも録音部さんも全員が並列であるという意識が強くありますね。当然のことなんですけど」
内藤自身、大きな役ばかり演じるようになってからも以前と変わらない。日本テレビ「家なき子」(1994年)でタチの悪い主人公の父親を演じていたころから、テレビ朝日「科捜研の女シリーズ」(00~26年)の準主演・土門薫警部補を演じるようになるまで、ずっと一緒である。
信念として付き人の存在はなく、スタッフと同じように現場には1人で行く。どの共演者とも等しく付き合う。記者会見場で昔馴染みの記者を見つけると、世間話を始める。
みんな対等という考えだから、「脇役」という表現を忌み嫌う。30年ほど前の熱情的なころは「脇役なんて言う奴はぶっとばす」と冗談交じりに口にしていた。
「そう言ってましたね(笑)。今でも考えは同じですよ」
もう1つ、やはり激しく嫌う言葉がある。「主役を食う」である。今の時代の俳優たちはそれぞれ自分の役割を果たし、みんなで最良のものをつくろうとしている。ほかの出演者を食おうとすることはあり得ない。そんな俳優が本当にいたら、演出家に叱り飛ばされるのがオチ。にもかかわらず、「食った」と言われたら、俳優としては迷惑なのだ。
「良くない言葉ですよ」
内藤が浜田を躊躇なく「師匠」と呼ぶもう一つの理由が見えた。みんな対等という考えが根底にあるから、年下であろうが、尊敬すべき相手は素直に敬えるのだ。
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