なぜ球審に「バット直撃」の悲劇が相次ぐのか…バットが「折れやすくなった」「スイング後に手から離れる」のには理由があった

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BCリーグの育成審判員に志願

 それがプロ野球の審判に興味を持ったきっかけだと、後に川上審判も述懐している。高校生活最後の打席は、高3の夏(2014年)、準々決勝の対日本文理戦だ。相手投手は、後にDeNAに入る飯塚悟史。2対3で1点を追う最終回、先頭打者に代えて本田監督は川上を代打に送った。結果は空振りの三振。「思い切りのいいスイングだった」と本田監督が回想する。

「最後に打ち取られた飯塚と、将来は同じプロ野球の舞台に立つ」

 決意して川上は卒業後すぐ、BCリーグの育成審判員に志願した。

「無給ですし、NPB審判になる道は簡単じゃありません。最初は考え直すように厳しく言ったのですが、川上は『それでもやりたい!』と。それで私は、『川上の強みを生かして頑張れば、道は開かれるかもしれない』と、背中を押しました」(本田監督)

 BCリーグ時代は、地元のスポーツ店でアルバイトをしながら経験を重ねた。それから11年後の昨年4月26日、川上審判員は西武対オリックス戦で3塁塁審として一軍デビューを果たした。そしてついに球審のチャンスを与えられたのが、4月16日の神宮球場だった。

 本田監督は、“球審デビュー”の知らせを川上本人から受けていた。

「川上の晴れ姿を見たくて、実はあの日、神宮球場に応援に行っていたのです」

1日も早い回復を

 新幹線で神宮球場に駆け付けた。本田監督にとっても、教え子が夢をかなえた感慨深い舞台。

「輝いて見えました。立派になったなあ……。夢をあきらめず、ようやくたどり着いた球審。緊張もしているだろうけど溌溂として、いい試合を進行するぞという強い意思もみなぎって見えました」

 感激に包まれ、本田監督は後ろ髪を引かれながらも試合途中で神宮球場を後にした。長岡に帰る最終の新幹線に乗るためだ。新幹線の中から、川上にLINEを送った。

「最後まで見られなかったけど、素晴らしい雄姿を見せてくれてありがとう。頼もしかった」

 関係者からアクシデントの知らせを受けたのはその後だった。本田監督の送ったメッセージは、まだ既読になっていない。いまも川上審判はケガと闘っている。一日も早い回復を心から祈る。

スポーツライター・小林信也

デイリー新潮編集部

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