「研ナオコを男にしてやってください」…大ヒット曲「愚図」を生んだ“芸能界の超大物”からの後押し 「この子なら女版“堺正章”になれると売り出してもらったわけ」

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「研ナオコを男にして」

 歌手として売り出した際の、鉄板ネタがある。最初にヒットしたのは「愚図」(75年)だが、この時のエピソードが面白い。楽曲を提供したのは作詞が阿木燿子、作曲が宇崎竜童。夫妻が初めて他の人に提供した曲だった。田辺社長が夫妻に頼んだ時に、

〈「研ナオコを男にしてやってください」と言ったとか言わないとか〉(「スッピンでしゃべります」から)。

 2度の連載ではデビュー前からの付き合いの野口五郎を始め、堺正章、梅沢冨美男、美川憲一、明石家さんま、志村けん、アルフィー、樹木希林、とんねるずら、錚々たるスターとの交遊が明かされた。それもざっくばらんな語り口で。

 興味深いのは研ナオコがどんな生い立ちでどんな教育を受けて、芸能界を駆け上がったのか、だ。

 静岡・天城湯ケ島で育った。本人曰く、「伊豆の山奥」。父親はトラックのドライバーでその合間に、兄も一緒に母親の畑仕事を手伝っていた。子供の頃の彼女の役割は両親が外で仕事をしているので、家事をすることと、祖母の面倒を見ることだった。祖母は寝たきりで、床ずれした時に薬を塗ってあげる優しい子だった。

 友だちと遊ぶより一人でいるのが好きで、「遊ぼう」と誘われると「いな~い」と返事したという。みんなと同じことをするのも嫌いで、幼稚園のお昼寝の時間では「眠くもないのに昼寝なんかできない」と一人で遊んでいたとか。いかにもといったエピソードの数々。

「自分は自分、人は人」

 前掲の『70歳、すっぴん人生』から自身についてどんな人間か語っている部分を拾ってみる。

〈常に「自分は自分。人は人」という考えがいつも根っこにあった〉

〈アタシは昔から不完全〉

〈人のためじゃなければアタシは頑張れないのね。自分のことなんかテキトー、いい加減なものですよ〉

〈今まで生きてきた自分の人生を否定しない。頑張ってきたそれまでの自分がかわいそう〉

 タイトルにもしている「すっぴん」については〈中途半端が嫌い。休みの時はほとんどすっぴん。メイクするとスイッチが入るから仕事中はビシッと〉とメリハリをつけている。そしてスッピンが注目され、メイクする動画をYouTubeで流したら600万回再生されたという(当時)。

 肩の力が抜けていて本当にユニークな女性(ひと)だ。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部

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