ベストセラー『買ってはいけない』を世に出した“トンデモ本大賞”作家が激白3時間…世界中の天文学者を驚かせた“ナゾの飛来物”の正体
原点は『暮しの手帖』と花森安治
船瀬俊介氏は、1950(昭和25)年、福岡県田川郡に生まれた。
「小学生のころ、親が購読していた『暮しの手帖』を見ていたら、〈なぜビスケットに色がついているのか〉って特集をやっていた。たしかに、当時のビスケットには、きれいな赤くて甘い“チョコレート”がかかっていた。ところがこれが“チョコレート”じゃなくて、赤色何号だとかいう、タール系合成着色料だと書いてあるじゃないか! もうビックリ仰天だよ。同時に、日本の企業とは、恐ろしいことを平気でやるもんだと思った。それ以来、わたしは、一切広告を載せない『暮しの手帖』を理想のジャーナリズムだと信じ、創刊編集長の花森安治氏を師匠とあおいで、今日まで来ているというわけよ」
九州大学理学部を2年で中退して上京、早稲田大学第一文学部の社会学科へ進学。学生時代は、下宿の室内が「暮しの手帖」のバックナンバーで埋まっている学生として有名だった。卒業後は、日本消費者連盟の事務局につとめた。
「そこで、『消費者レポート』の編集や、苦情受付係みたいなことをやっていた。すると、“化粧品を使っていたら、顔面黒皮症になった”という女性からの苦情電話が、ひっきりなしにかかってくるんだ。肌が荒れて、黒っぽい色素沈着の炎症を起こすんだって。そこで大阪大学医学部皮膚科の田代実先生に聞きに行ったんだ――『なぜ彼女たちは、色素沈着をおこしたんでしょうか?』。すると先生は、ひとこと『そういう化粧品を売っているからですよ』」
船瀬氏はすぐ書店に行って女性誌20誌を買い集め、すべての化粧品広告をチェックした。どれも「肌が白くなる」「肌が美しくなる」とうたっている。なのに、実際にはそうならない。そこで徹底取材を重ね、1979年、『あぶない化粧品 美しくなるために』(日本消費者連盟編著、三一書房刊)を上梓する。編著者名は連盟だが、実質、船瀬氏による初の著書だった。これがシリーズ化されて大ベストセラーとなった(船瀬氏によると、化粧品業界から“暗殺指令”が出たというのだが……)。
つづく同連盟編著の『ほんものの酒を! あなたはニセモノを飲んでいる』(1982年、三一書房刊)も話題となった。船瀬氏の大活躍はアメリカにも伝わり、消費者運動のリーダー、ラルフ・ネーダーから招待され、渡米して交流するまでになる。
やがて環境・消費問題評論家として独立してからは、怒涛の勢いで「消費者のための本」を書きまくった。『自然流「だし」読本』『ほのぼの奥さんかしこい暮らし』『だから、せっけんを使う~いま、地球にやさしい暮し方を!』……そしてついに、船瀬氏は共著ながら、決定的な大ベストセラーを生む。200万部突破の『買ってはいけない』(週刊金曜日編、1999年)である。「週刊金曜日」での連載をまとめたものだ。船瀬氏自身の回想。
「原則として広告をとらない、読者の支えだけでつくられる市民ジャーナリズム『週刊金曜日』が創刊したのは、1993年だった。ところが、広告をとらないのなら、もっと具体的に企業批判をやらなくちゃ。そこで編集部に電話をかけたんだよ――『暮しの手帖』の花森安治を思い出せ、あそこは徹底した商品テストで、大企業商品の問題点をあぶりだしていたじゃないか、と。そうしたら、『じゃ、あなたが書いてください』となって、連載がはじまったんだ」
内容は、食料品や家電製品などを取り上げ、そこに含まれる食品添加物や、製品の問題点などを指摘する、まさに“現代の商品テスト”だった。連載はえんえんとつづき、単行本(ブックレット)はパート10まで出た。先の編集者氏の感想。
「まさに船瀬氏の真骨頂でしたが、強烈な記述にあふれていました。家電製品から出る電磁波で発がんする可能性があるとか、ちょっと口に出しにくい、有名食品の原料の“暴露”だとか、強烈な内容でした。企業名や商品名をあそこまではっきり出した批判本は、珍しかった。ただ、さすがに日本の読者はバカではありません。すべてを信じたわけではなく、みんな、半ば笑いながら楽しんで読んでいたような記憶があります」
その後、批判本『「買ってはいけない」は買ってはいけない』が出たり、似たような書名の本が雨後の筍のごとく登場したりと、「買ってはいけない」は、一種の流行語となった。
「そしてついに、2008年の『新・知ってはいけない!? 日本人だけが知らない世界の100の常識』(徳間書店刊)が、第18回日本トンデモ本大賞を受賞します。もっとも船瀬氏は『俺の知らないところで勝手に決められ、トンデモ本あつかいされた』と憤慨していましたが。この本は、たしかに仰天情報満載でしたが、基本は“日本人よ、もっとしっかりしないと外国にいいようにされるぞ”との警告です。しかしこれで船瀬氏は、決定的な“トンデモ本作家”と認識されるのです」
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