「看護」を語る上で欠かせない「偉人」 朝ドラ「風、薫る」と大河「八重の桜」をつなぐ「人物」とは
那須に眠る捨松
翌1883年、捨松は陸軍卿の大山巌と結婚する。物語での巌は高嶋政宏(60)が演じている。留学生仲間の永井繁子と海軍武官・瓜生外吉の結婚祝賀会に出席した捨松を、巌が見初めた。
だが山川家はこの結婚に猛反対する。巌は43歳で捨松は24歳。しかも巌には病死した先妻との間に3人の娘がいた。なにより巌は会津藩の仇敵・薩摩藩の出身。会津戦争で鶴ヶ城に砲弾を撃ち込んだ砲兵隊の隊長だったのである。
それでも最終的には捨松が巌の求愛を受け入れる。巌は誠実な紳士だった。一方で捨松は政府側の女性への冷たさを痛感し、自ら社会のためにやらなくてはならないことを探し始める。
教育を受けた看護婦がいないことを知ると、1885(明18)年に日本初の看護学校「有志共立東京病院看護婦教育所」(現・慈恵看護専門学校)を設立した。
その資金はやはり日本初だったチャリティーバザーで集めた。場所は社交場であることが常識だった鹿鳴館。捨松は告知から品物集め、販売まで陣頭指揮を執る。鹿鳴館で3日間で約1万2000人が訪れ、約1万6000円(現在の8000万円前後)の浄財が寄せられた。
一方で捨松と津田梅子、永井繁子は終生にわたって姉妹のような関係だった。梅子が1900(明33)年、津田塾大の前身である女子英学塾を開学した際、捨松は開学資金集めの責任者を引き受けた。
のちに理事や校長代理も務める。無論、無給である。大学側はその功績を決して忘れず、今も成績優秀な海外大学院への進学者に「大山捨松賞」を授与している。
捨松は巌との間に男子2人、女子1人を儲けた。巌と先妻の間に生まれた3人の女子もいたから、子供は計6人。巌が家族思いのやさしい人だったので、幸せに暮らしていた。
しかし、後年は不幸が重なる。海軍少尉候補生だった長男・高が、巡洋艦「松島」の爆沈事故で1908(明41)年に亡くなった。1916(大5)年には巌が胆嚢炎で他界した。74歳だった。以来、捨松はあまり家の外に出なくなってしまう。
3年後には捨松も亡くなる。1919(大8)年だった。世界中で大流行し、日本でも約45万人が死亡したスペイン風邪に捨松も罹った。58歳の若さだった。ドラマでは、捨松を看護するのは、りんと直美しかいないと見ている。
巌と捨松はりんの故郷付近の那須塩原市に眠っている。巌が1901(明34)年に農場を開き、別邸も建てた地だからである。公園化された墓所はモミジの名所としても知られる。
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