「向こうへ行って遊んでらっしゃい」…由紀さおり・安田祥子の“厳しい母”が病床で発した“最期の言葉”

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姉妹で童謡を……

「夜明けのスキャット」で世に出たさおりさん。祥子さんはオペラ歌手の傍ら、東京芸大に副手として残り、結婚して渡米するとソプラノ歌手だけでなく、ジュリアード音楽院などでさらなる研鑽を続けた。

「84年、私のデビュー15周年の節目に、コンサートでオーケストラをバックに歌いたいと思い、母に打ち明けて相談したんです。“誰かゲストを呼んだ方がいいかな?”。そうしたら母は“祥子と一緒にやったらどう”と。そこで童謡や唱歌を歌うコーナーを設けて、お姉ちゃんに出てもらったんです。あとでお客様のアンケートを見たら“大人になったお二人が歌う童謡をもっと聞きたい”という意見が圧倒的で……」(さおりさん)

 その時、房子さんは「これだわ!」と思ったのではないか――姉妹はそう思っている。ジャンルは違っても同じ音楽の道を歩んだ二人が、童謡を歌ったらどうか……。86年3月、「童謡コンサート あの時、この歌」が始まる。

「最初、アルバムを出す相談をレコード会社にしたら、“教材ならいいですけど”と言われて。でも何とかお願いして、出すことになったら“500枚です”って。確かに、売れるかどうか分かりませんから、そう言われたのも仕方ないかもしれないけど、こっちも意地がありましたからね(笑)。買い取りますから5000枚でとお願いして、コンサート会場で手売りしました。もちろん、完売ですよ(笑)。それから40年です……きっと母は、私たち姉妹で歌う姿を見たいと、ずっと思っていたんでしょうね」(さおりさん)

 房子さんは、99年5月に亡くなった(享年81)。

「がんでした。いよいよ最期という段階で、痛み止めの注射を打ってくださいとお願いしたんです。ただ、医師からは“痛み止めを打つと意識が混濁する状態になり、話ができるのはこれが最後になるかもしれません”と言われました。一緒に見舞っていた兄が“ここまで頑張ったんだから、お母さんを楽にしてあげよう”と、痛み止めを打っていただいたんです」(さおりさん)

 意識が遠のいていく房子さんのそばに、さおりさんと祥子さんは寄り添い、童謡を歌った。房子さんも一緒に歌っているようだったという。ワンコーラスを終えたところで、房子さんはこう言った。

「もういいから、向こうへ行って、遊んでらっしゃい」

 最期の言葉だった。

「母の脳裏には、私たちの幼いころのイメージしかなかったのかしら」(さおりさん)

「妹には、ものの見方や考え方、あらゆる面で母の教えがしっかり身についています。歌い続けるためには健康にも気をつけないといけません。そうした細かいところまで、本当にしっかりしてくれています。おかげでここまで歌い続けることができたと感謝しているんです」(祥子さん)

 房子さんとさおりさん、そして祥子さんが病室で最後に歌ったのは「みかんの花咲く丘」。今回、発売されたアルバムにも収録されている。今も仲良く歌い続ける姉妹を、天国にいる房子さんは目を細めて見つめているに違いない。

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姉・安田祥子
声楽家。妹の章子(由紀さおり)と共に「ひばり児童合唱団に所属」。東京芸術大学卒業後、オペラ「フィガロの結婚」のスザンナ役で声楽家としてデビュー。ソプラノ歌手としてモーツアルトからワーグナーまで、数々のオペラに出演する傍ら、東京芸大講師として18年間、後進の指導にもあたる。日本歌曲、童謡、唱歌からクラシックまで幅広いジャンルを歌い、講演活動も行っている。

妹・由紀さおり
本名・安田章子。幼少期から童謡歌手として活動し、姉の祥子と共に小学~高校生まで「ひばり児童合唱団」に所属。1969年「夜明けのスキャット」でデビューする一方、女優として映画やドラマ、またバラエティ番組への出演や司会など、多方面で活躍する。1970年、「手紙」で日本レコード大賞歌唱賞、83年、映画「家族ゲーム」で、毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。姉の祥子と共に、美しい日本の歌を次世代に歌い継ぐ活動を続けている。

デイリー新潮編集部

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