「捕手失格」から見事な大成…球史を変えた名打者たちの“意外な真実”
捕手からのコンバートが運命を変えることも
中日、楽天で史上2人目の両リーグ本塁打王の快挙を達成した山崎武司は、捕手時代の“ある事件”がきっかけで野手にコンバートされた。
1987年にドラフト2位で中日に入団した山崎だったが、自著によれば「中日に入ってから、このポジションが嫌いになった」という。
理由は大きく二つある。
2学年上の中村武志が正捕手に定着し、出番に恵まれなかったこと。捕手を続ける限り十分な打撃練習ができず、最大の武器である打力を生かせないと感じたためだ。
転機はプロ3年目、89年10月15日の広島戦。この日先発マスクをかぶった山崎は、正田耕三に5盗塁を許す。しかも送球は野手がタッチできる範囲に収まらず、2度の悪送球で余計な失点まで与えてしまった。
正田は7回にも代わった中村からNPB歴代トップタイの1試合6盗塁を決め、逆転でタイトルを獲得した。
結果的に快挙をアシストする形となった山崎は、星野仙一監督から叱責を受けたが、これをきっかけに外野手転向が実現。まさに災い転じて福となった。
その後は96年に36本塁打、楽天時代の07年に43本塁打でセ・パ両リーグ本塁打王となるなど、通算403本塁打を記録した。
昭和のレジェンドでは、“世界の鉄人”衣笠祥雄も広島入団時は捕手だった。
入団1年目にプロのレベルの高さを痛感する。
1軍昇格後、ブルペンで先輩投手のフォークを捕れず4球連続で落球。5球目にやっと捕球できたが、「もういい」とお役御免になってしまった。
途中出場でマスクをかぶった1965年9月5日の巨人戦では、4回2死一塁、城之内邦雄の空振り三振直後、ショートバウンドで捕球したにもかかわらず、ノータッチでボールをトスしてベンチに引き揚げてしまう。これにより振り逃げが記録されるチョンボも犯している。
その後、当時の白石勝巳監督に一塁へのコンバートを命じられる。捕手への未練はあったが、「守りの要である捕手は守備面の負担が大きい。ファーストのほうが打撃に力を注げる」という考えが、通算504本塁打(歴代7位タイ)の大打者を生んだ。
このほか小笠原道大、飯田哲也、江藤智らも捕手から野手に転向し、成功を収めている。ひとつの失敗や転機が、キャリアを大きく変えることもある。捕手からのコンバートが生んだ成功例は、そのことを雄弁に物語っている。











