「捕手失格」から見事な大成…球史を変えた名打者たちの“意外な真実”

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 4月1日の西武対オリックスで、西武のドラ1ルーキー・小島大河がNPBワーストタイの1試合3捕逸を記録し、2001年の西武・和田一浩以来25年ぶりの珍事と話題になった。このニュースを知り、「えっ、和田は捕手だったの?」と意外に思った人もいたはずだ。実は、プロ野球界には和田以外にも捕手から野手にコンバートされ、球史に残る大打者になった選手が多く存在する。【久保田龍雄/ライター】

ベンちゃんにはレギュラーを

 四半世紀ぶりに捕手時代の不名誉な記録がクローズアップされた和田は、1997年、強肩、俊足、強打の三拍子揃った捕手でドラフト4位で西武に入団した。チームには、1980年代半ばから正捕手を務め、リーグ5連覇の黄金時代を支えたベテラン・伊東勤が健在だった。

 このような事情から入団時に野手転向を打診されたが、東尾修監督に「キャッチャーをやりたい」と直訴。外野手、DHと併用されながら、2000年までの4年間で48試合に捕手で出場した。

 翌01年の開幕戦では東尾監督の発案で、入団3年目の若きエース・松坂大輔と“新世紀バッテリー”を結成。シーズン最後の6試合でもすべて先発マスクをかぶった。

 V争いのさ中の9月24日の近鉄戦では、松坂とのバッテリーで必勝を期したにもかかわらず、2点リードの9回に北川博敏のソロと中村紀洋の2ランを許し、悪夢の逆転サヨナラ負け。チームは事実上V逸となった。

 さらにシーズン最終戦、10月1日の日本ハム戦で、前出の1試合3捕逸を記録してしまう。

 2回の満塁のピンチで2つの捕逸を喫すると、8回にも捕逸を記録。1987年の八重樫幸雄(ヤクルト)ほか史上6人目のワーストタイとなった。

 この悔しさをバネに翌年の雪辱を誓ったが、オフの監督人事が運命を大きく変える。

 同年限りで退任した東尾監督に代わり、球団は伊東に次期監督を要請した。実現すれば正捕手獲りのチャンスだったが、伊東は現役続行を望んで固辞。代わって伊原春樹監督が就任した。

 4年ぶりV奪回を託された伊原監督は、同年自己最多の16本塁打を記録した和田の打力を生かすため、「ベンちゃんにはレギュラーを獲ってもらいたい」と外野へのコンバートを通告する。

 “捕手失格”の烙印を押されたも同然の和田は大きなショックを受けたが、「逃げ場はない」と自らに言い聞かせ、外野手用グローブだけを持って秋季練習に参加。人一倍の努力に加え、守備の負担が軽減された翌02年は30歳にして初めて規定打席に到達し、打率.319、33本塁打、81打点でチームの優勝に貢献した。

 そして、捕手時代の5年間で149安打しか記録していなかったが、02年以降の14年間で1851安打を積み上げ、中日移籍8年目の2015年6月11日のロッテ戦で史上45人目の通算2000安打を達成――。結果的に1試合3捕逸が回りまわって球界のレジェンドを生み出したと言っても良いだろう。

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