【風、薫る】りんを助けた“洋装の紳士”に地元・埼玉県羽生市は歓喜… まんじゅうの名にもなる「清水卯三郎」は何者か
語学の天才は商才も
では、そんな卯三郎の知られざる人生を、山﨑さんの解説のもと紐解いてみよう。
卯三郎は1829年(文政12年)に現在の埼玉県羽生市(当時は武蔵国埼玉郡町場村)で生まれた。父親は酒造業などを営み、母親は豪農・根岸友山の娘だった。
「いたずら好きの子だったそうです。11歳のときに祖父(根岸友山)のもとに預けられ、17歳のときには漢学者・森玉岡(もりぎょくこう)のもとで漢学、さらには大里郡甲山村(現・熊谷市)の祖父が開いた私塾などで数学、薬学、焼物を学んだそうです」
20歳でオランダ語を学び始め、ロシア提督プチャーチンに会うために下田に行ったことも。
「好奇心旺盛ですよね。30歳になると、横浜で大豆商の手伝いをします。外国人とのやりとりをする中で、オランダ語ではままならず、英語を学ぶきっかけになったようです。英語は立石得十郎に教わり、彼の私塾で松木弘安(寺島宗則)とも知り合っています。卯三郎は、ハリスの書記官のポートマンに日本語を教え、代わりに英語を教わったりもしたようです」
そんな中、生麦事件をきっかけに薩英戦争(1863年)が勃発。
「英語が堪能になった卯三郎は、薩摩藩から書簡の英訳依頼を受け、イギリス艦隊に乗船します。そこで捕虜になっていた松木弘安(寺島宗則)と五代才助(友厚)を救出しています」
五代友厚といえば、朝ドラ『あさが来た』(2015年)や大河ドラマ『青天を衝け』(2021年)でディーン・フジオカが演じていたことを覚えている人も多いはず。
「35歳のときには、大久保一蔵(利通)の依頼でイギリスとの和平交渉にも加わっています。その後、薩摩藩とイギリスのジャーディン・マセソン商会との最新式の軍艦購入の交渉などにも参加。卯三郎はその英語力をもって、いろんな人と関わっていきます。38歳の時に、海外のものを輸入して国内で販売する商いをどんどん進めていき、東京・浅草近辺で瑞穂屋を開業。2年後に、日本橋に移転させています」
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