伝説の「バックスクリーン3連発」も生んだ…球史を変えた“たったひとつの落球”
甲子園の魔物
伝統の一戦では、もうひとつ、伝説の名にふさわしい落球があった。1985年4月16日の巨神シーズン初対決。巨人は1回に原辰徳の犠飛、4回に中畑清の左越えソロで2点を先行する。
阪神も4回2死から4番・掛布雅之のシーズン1号で1点差に迫ったあと、岡田彰布が四球を選び、2死一塁となった。次打者・佐野仙好のときにエンドランがかかり、岡田がスタートを切るが、佐野はショート後方に高々と打ち上げてしまう。
ところが、名手・河埜和正が落下地点に入り、誰もが「これでチェンジ」と思った直後、“甲子園の魔物”が頭をもたげる。センターの守備範囲近くまで深追いした河埜は夜露に足を取られ、グラブの土手に当ててポロリと落球。この間に岡田が一気に本塁を突き、2対2の同点となった。
そして、このエラーをきっかけに試合の流れは一気に阪神へと傾く。直後、平田勝男の中前タイムリーで勝ち越すと、木戸克彦と真弓明信の2ランで、この回一挙7点。5、8回に加点し、10対2と大勝した。
開幕3戦目で2勝1敗と勝ち越した阪神は、翌17日の巨人戦でもバース、掛布、岡田の“伝説のバックスクリーン3連発”が飛び出し、21年ぶりVに向かって驀進することになる。
一方、河埜は4月28日のヤクルト戦で再び落球を犯すなど、精神的なダメージから立ち直れないまま、翌86年、34歳の若さで現役引退。結果的に野球選手としての幕引きにつながる運命の落球となった。つくづく野球の怖さを思い知らされる。
落球する運命だったんだ
最後は偉大な本塁打記録を呼び込んだ落球を紹介する。2002年10月10日、すでに優勝を決めていた巨人は、本拠地・東京ドームの最終戦でヤクルトと対戦した。
この時点で、巨人の4番・松井秀喜は48本塁打を記録し、悲願のシーズン50本塁打にあと2本と迫っていた。初回、松井はヤクルトの先発・藤井秀悟から左翼席中段に先制2ランを放ち、大台に王手をかけた。
だが、2、3打席目は凡退し、3打数1安打で8回の4打席目を迎える。この回から登板したヤクルトの2番手・五十嵐亮太は、初球から150キロ台の速球を投げ込み、直球一本で勝負を挑んできた。
松井はカウント1‐2から五十嵐の外角高め、149キロに詰まり、三塁ファウルゾーンに高々と打ち上げてしまう。スタンドは悲鳴とどよめきに包まれ、松井は「ダメだと思った」とあきらめかけた。
ところがここで、野球の神様の計らいとも言えそうなアクシデントが起きる。飛球をネット際まで追っていた3年目の若手捕手・米野智人が目測を誤り、落球してしまった。
命拾いした松井は1球ファウルのあと、まるで予定調和のように五十嵐の6球目、150キロ直球を左翼席に叩き込み、日本人では1986年の落合博満(ロッテ)以来、16年ぶりの50号を達成。「遠い数字だと思っていた。40と50はえらい違いだから」と感激に浸った。
結果的に松井の快挙を後押しする形となった米野は後年、「あのキャッチャーフライは捕れなくて良かったんだなと思う。落球する運命だったんだと」と回想している。ほんのひとつの落球が、歴史に残る一打を呼び込む……。つくづく野球の奥深さを感じさせる場面だった。
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