妻を抱こうとした、でもできなかった…ある日「妊娠しちゃった」と告げられて それでも「僕が彼女を裏切った」と56歳男性が悔やむ理由
子との交流 「僕も友ちゃんって呼んでいい?」
友満さんと真澄さんは、そうやってきれいに離婚した。彼が38歳のときだった。その後は、ときどき真澄さんと連絡をとった。ふたりの間に生まれた息子と真澄さんと、3人で何度か会ったことがある。
「おかあさんの古いお友だちと紹介されました。彼が10歳くらいのときだったかなあ。真澄は夫が忙しくて遊んでくれないから、あなた、代わりに遊んでよって連絡してきたんです。3人で遊園地に行った。あれは楽しかった。一緒に食事をしたりアイスを食べたり、もちろんジェットコースターに乗ったり。真澄は苦手なんですよ、ああいう乗り物が。僕にとっては甥っ子みたいな感覚だった。彼女の息子は『僕も友ちゃんって呼んでいい?』って。すごく人懐こい子で、いかにも真澄の子らしかった」
その後も数回会ったが、彼が中学に入ったタイミングで真澄さんから離婚したことを告げられた。「なんだかわからないけど、私たち、愛情が薄れちゃったんだ」と真澄さんはケロッとしていた。息子には正直に、これからは家族だけど、お父さんとお母さんは夫婦ではないと伝えた。息子は「ふうん」と言ったそうだ。
「まあ、でもしょっちゅう元夫と会っているし、息子はのびのびしているように見えるから心配しないでと真澄は言っていました。ただ、息子の逃げ場になってやってほしいとも言われた。いつでもと答えました。もう僕は家族をもてないし、恋人すらできないだろうと思っていたから」
仕事をしながら年に数回、真澄さんとその息子に会うのが楽しみだった。まれに姉が連絡をくれた。姉はほとんど海外で仕事をしながら生活している。
「2度結婚していずれも離婚していますが、姉はアグレッシブな人だからまったくめげてない。つい先日も『3度目の結婚しちゃうかも』とメールを寄越したくらいです。でもおそらく姉だけは、いつも僕の心の底を心配してくれているような気がします」
3年前、彼はガンが発見され、手術と治療を受けた。早期だったので今はほとんど影響なく仕事に復帰しているが50代半ばになって初めて「死」を意識した。病気のことは真澄さんには隠していた。彼にはどうしても「自分の裏切りで、妻を不幸にした」という思いが消えないのだという。
ただ、病気をしてから少しだけ考えが変わった。自分の曖昧模糊とした性的志向をもう少し探ってみたいと思うようになった。
「このまま自分を見つけられずに死んでもいいのかと自問したら、やはりもう少しだけ自分のことを知りたいと思ったんです。もともと僕の意志がはっきりしなかったから真澄に迷惑をかけた。それを悔いて、もう静かにひとりで生きていこうと思っていたけど、本当にこのままでいいのかという思いがあって。真澄にも言われたんですよ。『愛する人を探してみてもいいのかもよ』と。曖昧な欲望すらもっていないかもしれないけど、誰かと一緒に年をとるのも悪くないかもしれない。それが好きな同性なら幸せだろうとは思う」
あれが恋するということか
性自認ははっきりしているのに、自身の恋愛感情の対象や欲望そのものがはっきりしないのだと友満さんは繰り返し言った。もしかしたら誰にも恋愛感情を持たないタイプなのかもしれない。自分が避けてきたそういう面を、これからは少しずつ探ってみたいようだ。
母や真澄さんの再婚相手に抱いたときめきに似た一瞬の思いはいったい何なのだろう。あれが恋するということかと、彼は今も思い出すことがあるそうだ。繊細で複雑な心の動きを、相当な精度で覚えていることに驚かされる。この感性の鋭さと豊かさが、生きる上で彼を不器用にさせたのかもしれない。
どんなに探ってもわからないものかもしれないけどと言いつつ、「人間、自分に期待することをあきらめてはいけないような気もして」と少し微笑んだ。
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端から見れば「サレ夫」の友満さんではあるが、心の内では葛藤や自責の念を抱いていたようだ。最後に残した前向きな言葉を胸に、彼は残りの人生をどう歩んでいくのだろう。【記事前編】では、彼を育んだ家庭環境を中心に紹介している。
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