キース・ジャレット“伝説的ライブ”の仕掛け人は「18歳の女子高生」だった…史上最も売れたピアノソロの名盤“誕生秘話”を描いた映画「1975年のケルン・コンサート」が話題

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 1970年代後半、FM東京で、毎週日曜日の23時に「夜のみちくさ55分」という番組が放送されていた。パーソナリティは俳優の故・岡田真澄。いま60代以上で、中高生時代にFMをよく聴いていた方なら、記憶があるはずだ。非常に凝ったジャンルレスな番組で、たとえば「鳥たちの音楽会」と題した回では、カザルスが演奏するチェロ曲《鳥の歌》につづいて、ザ・タイガースの《青い鳥》が。「ダイニング・キッチンの詩」の回では遠藤賢司《カレーライス》に、ホット・バター《ポップコーン》……といった具合だ。

 この番組のテーマ音楽が、どこか寂し気な、しかし透明感のあるピアノ曲で、深夜ムードにピッタリだった。これが流れると「ああ、これで日曜日も終わりか。明日からまた学校か」と、切ない気分になったものである。これが、キース・ジャレットの《ケルン・コンサートPART1》だった。のちに映画やCMでさかんに使用されることになる名曲だが、日本では、この番組で、ジャズ・ファン以外にも広く知られるようになったのだ。現に、あまりに問い合わせが多かったため、1977年9月11日の回ではキース・ジャレット特集を組み、テーマ音楽の《ケルン・コンサート》をまるごと流している。

主催者は女子高生だった

 この曲は、1975年1月24日の夜11時半過ぎにドイツのケルン歌劇場で開催された、キース・ジャレット(1945~)のピアノ・ソロ・コンサートのライブ音源だ。キースはアメリカ生まれで、マイルス・デイヴィスのバンドに参加後、ソロやカルテットなどで活躍をつづけたジャズ・ピアニストである。もともとクラシックから出発しており、後年、バッハやモーツァルトなども演奏している。

 ケルンでのコンサートは、すべてがインプロヴィゼーション(即興演奏)であった。これをドイツの〈ECM〉レーベルが録音しており、同年11月にレコードが発売され、大ヒットとなる。現在までに全世界で450万枚以上を売り、「史上もっとも売れたピアノ・ソロ・アルバム」といわれている。昨年には、アメリカ議会図書館が、文化的に重要な音源「国家登録録音」に認定している。

 実は、この歴史的コンサートを主催したプロモーターは、ケルン在住の「18歳の女子高生」であった。しかも、準備段階からトラブルつづきで、ほとんど中止寸前にまで追い込まれていた。

 その内幕を描いた映画が、現在公開中の「1975年のケルン・コンサート」(イド・フルーク監督、ドイツほか合作、2025)である。

「あのコンサートを、地元の女子高生が主催したということ自体は、ファンの間では知られている有名な話です。しかし、映画なので脚色はあると思いますが、あれほどのドタバタ騒動だったとはおどろきました」

 と語るのは、「ケルン・コンサート」の大ファンだという、映画ジャーナリスト氏である。まず、どういう映画なのか、解説してもらおう。

「主人公は、ケルンの女子高生、ヴェラ・ブランデス(1956~)。いまでもジャズ・プロデューサーとして活躍中の、実在する女性です。裕福な開業歯科医の娘で、ジャズが大好き。あるとき、イギリスのサクソフォン奏者、ロニー・スコットと知り合い、ツアーのブッキング(会場や宿の手配)を担当したところ、意外とうまくいって、ジャズ・プロモートの醍醐味を知ってしまいます。そしてベルリンでキース・ジャレットのステージを観て大感激し、彼のケルンでのコンサートを企画します」

 ヴェラ役を演じたのは、ドイツの女優マラ・エムデである。

「実は彼女、撮影時は28~29歳で、女子高生役にはかなり無理があるのですが、あまりの大熱演で、すぐに年齢のことなど忘れてしまいます」(前出・ジャーナリスト氏)

 それにしても、いくらファンとはいえ、女子高生がプロのジャズ・コンサートを主催できるものなのだろうか。

「ジャズは、オーケストラほどの大所帯ではありませんし、会場はジャズクラブやライブハウスが多い。しかもキースの場合は演奏者1人です。当時彼は〈ECM〉レーベルのプロデューサー、マンフレート・アイヒャーが運転するルノーに乗り、2人でヨーロッパ・ツアー中でした。よって交通手配の必要はなく、会場と宿さえ確実にブッキングできれば、OKだったのです」(同)

 ところが、会場のケルン市立歌劇場に着くと、たいへんなミスが発覚する。

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