いかりや長介さんが「かまってやれなくてゴメンな」と…“6人目のドリフ”と呼ばれた「すわ親治」が明かす16年間の付き人時代 「頭ごなしに弟子を叱るメンバーはいませんでした」

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが俳優、歌手、タレント、芸人ら、第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第63回は、コメディアン・俳優のすわ親治さん。「ドリフの番組でブルース・リーのものまねをしていた人」と聞いてピンときますか? そう、あの人です。知られざるザ・ドリフターズの“秘話”です。

6人目のメンバー?

 連載のために取材して、ザ・ドリフターズのメンバーよりも面白いんじゃないかと思ったのが、付き人だったすわ親治(73)。

「6人目のメンバーに」と書かれたこともあるほどで、そのトボケた話しぶりは何とも味わいがあった。本人が大真面目に話すほど、噴き出しそうな瞬間が何度もあった。

 連載「付き人が語る 爆笑 ドリフあの時代」(12年)の自己紹介――。

〈すわ親治といいます。何者かって? 職業は芸人で役者もやってます。その昔、あの「8時だョ!全員集合」(TBS)のコントで「アチョ~~」とブルース・リーの物まねをやって、“カトちゃん”の「ヒックション!」で背中からコケたり、ドリフのメンバーが“アテレコ”で出演した人形劇「飛べ!孫悟空」では馬の役で「ウワハハハハハハハ」と甲高い笑い声を発していたのがボク〉

 出身は鹿児島県で、コメディアンを目指し上京。「全員集合」が始まって4年目の72年、ドリフの付き人募集の新聞広告を見て応募したものの、すでに付き人は決まっていて、代わりに加藤茶(83)の運転手として採用された。この辺りの話からして大爆笑の連続だ。

 当時、加藤が乗っていたのはアメ車の大きなマーキュリークーガー。すわは運転免許は持っていたものの、左ハンドルは初めて。当然、運転は下手で、東京の道路を知らないからぶつけるのもしょっちゅう。なのに、ある時、「お前のおかげでオレは“腰が低いね”と近所で評判だよ」と加藤に褒められた。そういわれても何のことかわからない。その答えは、

〈ボクが急ブレーキを踏むたびに後部座席の加藤さんがカクッ、カクッとなる。それがお辞儀しているように見えるらしいのです。〉

 連載ではこんなエピソードが散りばめられた。

 運転手を始めて1年半後、加藤がいかりや長介(04年死去、享年72)に掛け合ってくれて、仲本工事(22年死去、享年81)の付き人に“昇格”した。月給は1万5000円から5万5000円にアップ。加藤の「ちょっとだけよ~」が流行った73年頃のことだ。

 最終的にいかりやの付き人も務めたが、その間、16年間もドリフと行動を共にした。その間に、ドリフの付き人は100人以上も入れ替わったそうで、たった2時間で姿を消した人もいたとか。16年も長続きしたのはすわだけで、付き人からメンバーに昇格したのは志村けん(20年死去、享年70)ただ一人だった。

 芸能界には厳しい上下関係があり、中でも人気者だったドリフだけに、現場は過酷だ。コンプラも何もあったものではなかったのでは、と思われがちだが、真逆なところがドリフのすごさでもある。すわ曰く、

〈メンバーは付き人に対してムチャなことは決して言わないし、怒った場面も見たことがない。みんな優しかったですよ〉

〈ドリフターズは“大人の集団”。頭ごなしに弟子を叱ることはないし、ちゃんと一人の人間として接してくれる〉

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