いかりや長介さんが「かまってやれなくてゴメンな」と…“6人目のドリフ”と呼ばれた「すわ親治」が明かす16年間の付き人時代 「頭ごなしに弟子を叱るメンバーはいませんでした」
「かまってやれなくてゴメンな」
各メンバーの思い出についてはこう語った。
付き人たちは、いかりやの自宅近くのアパートに住んでいた。貧乏暮らしだからお金がない。それでも一杯ひっかけたくなると、いかりやが行きそうな店を突き止めて出かけた。いかりやを見つけると、「あれ? いたんですか」とトボケる。いかりやは「何がいたんですかだよ。いいから、こっち来て飲めよ」と、たからせてくれたという。
もっとも、ステージでのいかりやは妥協がなく、とにかく厳しかったのはよく知られるところ。ミスった時に「オレは今日は出ない。お前がステージで客に謝ってこい」と怒られたこともあった。それでも「全員集合」が終了し、すわがフリーになってから一献傾けることもあった。その時に「全員集合の時はかまってやれなくてごめんな」としみじみ語ったそうだ。
加藤はひねりが利いている。遅刻魔のすわは、反省の意味を込めて何度も頭を丸めた。すると加藤に「オレがヤクザを雇っていると思われるだろ。(丸めるのを)やめろ」と言われたという。
地方営業の時などは前のりで準備するが、夜になると仲間らと集まって遊ぶことが多かった。すわはよくカモにされ、支払いの金額は月給では払いきれないほどになる。そんな時は仲本に借金をしたこともあった。「一体、いくら借りたいんだ?」と言われ、「7万円です」と答えると、何も言わずに貸してくれた。もちろん、仲本はお金が返ってくるとは思っていない。
荒井注(2000年死去、享年71)については、こう語っている。
〈「ジス・イズ・ア・ペン」「何だ、バカヤロー」のギャグが大ウケだった荒井さんの個性があまりに強烈で、お客さんもなかなかついてこなかった〉
高木ブー(93)には意外な一面が。20歳も上なのに「飲みに行きましょうよ」と気さくに話しかけることができる雰囲気があったという。そして飲んだ時に「コントではもっと先輩をイジッた方がいいよ」とアドバイスしてくれた。
肌でドリフを知る人
付き人からメンバーに昇格した年上の志村は、毎晩のように飲みに連れて行ってくれたが、志村のアドバイスは貴重な財産になったという。
「全員集合」はコントの企画を練る伝説の会議が有名だが、煮詰まることもしばしば。そんな時は志村が付き人たちのところにやってきてからかったり、どついたりしてリアクションを楽しむことが多かったそうだ。それがエスカレートし、ブルース・リーの物まねをやるきっかけになった。
そして、79年。スポーツ紙に「『ドリフ』が6人になる」という記事が掲載された。すわが加入するのかと思われたが、「その2年後にはボク自身が行き詰まってしまい、付き人を辞めてしまった」。
その後はフリーに。社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」で活動後は沢田研二の舞台などで活躍している。ドリフで存命なのは加藤と高木だが、2人に続く、肌でドリフを知る人だと思う。
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