「炎鵬」奇跡の関取復帰 「相撲どころか歩くことさえ……」脊髄損傷の大ケガを跳ね返した“不屈の相撲人生”

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あと1場所

 3年間、炎鵬がその屈辱に耐え、関取への復帰を諦めなかった心根にはどんな思いがあったのか?

 巷では、「年寄(親方)として角界に残る条件を満たすため」との推測が根拠として語られる。それも大きな要因だろう。相撲界は古い体質の一方で意外と合理的な仕組みを持つ社会で、年寄になるための「親方株」を取得するには明確な前提基準がある。現役時代に相応の実績を挙げた力士だけが年寄として日本相撲協会に残れるのだ。その基準とは以下の三つだ。

 三役(小結以上)を1場所以上務める。
 幕内通算20場所以上務める。
 十両・幕内通算で30場所以上務める。

 炎鵬は、幕下に落ちた時点で通算29場所、十両・幕内を務めた実績を持っていた。つまり、「あと1場所」十両の土俵を務めたら相撲界に残る資格を得ることができる。あのまま引退したのでは相撲界に残れなかった。思わず「引退」と書いたが、かつては相撲界に残れない力士が土俵を去る際は「廃業」と表現された。「引退」と言えるのは年寄として角界に残る者だけに使われる表現だった。ただし1996年、全力士に引退の言葉を用いるよう変更され、炎鵬も「引退」とは表現されるが、大相撲以外の社会に活躍の場を求めるほかはなかった。

 それが今回の昇進で、年寄資格を得られることになった。これは炎鵬のセカンドキャリアが拓けた以上に大きな意味を持っている。

相撲に対する「情熱」

 言うまでもなく、炎鵬は元横綱・白鵬(前宮城野親方)の弟子。今年初場所、2年前に宮城野部屋から伊勢ケ浜部屋に移籍した8人の力士が改名し、富士がつく四股名に変わった。ひとりだけ改名せず、白鵬からもらった四股名を貫いたのが炎鵬だ。実は、旧宮城野部屋はいまも「預かり」の状態にあって、条件が揃えば「復活」の道を残している。ただし、退職した白鵬が親方に復帰することはできない。

 そこで炎鵬の「引退後」に周囲の期待が集まっている。通常、部屋の新設が許されるのは「横綱・大関経験者」「三役通算25場所以上」「幕内通算60場所以上」いずれかをクリアした親方に限られる。だから現状では炎鵬は部屋持ち親方になれない。但し、日本相撲協会が認めた場合、部屋を「継承」することは可能だ。3月場所前に発覚した伊勢ケ浜親方の暴力事件の裁定とも絡むが、伊勢ケ浜親方が不祥事を起こしたことで宮城野部屋再興の可能性は高まったと見る向きもある。そういう中での炎鵬の十両復帰は、炎鵬の行く末だけでなく、相撲界全体、そして元宮城野部屋所属力士の相撲人生にも大きな影響を与える関心事と言えるのだ。

 一方で、炎鵬が再起に執念を燃やした理由はそれだけではない、と私は感じる。それは、炎鵬の相撲に対する「情熱」だ。

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