「なぜ人を殺してはいけないか?」に養老孟司さんが語ったこと 人間は虫一匹作れやしない

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『バカの壁』で知られる養老孟司さん(88・東京大学名誉教授)が何だか嬉しそうだ。ということは、背後のパネルに写っているのが何かはもはや明らかだろう。

 そう、虫である。

 ここは「養老孟司と小檜山賢二の虫展」(東京都写真美術館・5月24日まで開催)の会場。慶応大学名誉教授で昆虫のデジタル写真家の小檜山賢二さん(83)の作品と、養老さんの活動や言葉を展示するという趣向の展覧会だ。二人は40年来の「虫友だち」である。

 パネルに写っているオオゾウムシの実際のサイズは32ミリ。ゾウムシは養老さんが特に愛する虫の種類である。

 これを単に撮影して拡大してもパネルのような写真にはならない。これだけ小さい対象のすべてにピントを合わせた写真を作るには、特殊なデジタル画像処理が必要で、小檜山さんはその第一人者だ。2年前、大分県で開催されたものをヴァージョンアップして場所を東京に移したのが今回の展覧会なのだという。

 拡大されたことで、普段は単に「小さな虫」くらいにしか思っていない彼らが実に多様な顔、体を持っていることが見えてくる。それらの姿を奇怪と見るか、美しいと思うかは、人それぞれだろう。しかし、こうした自然のものを見て、感じることには大いに意味がある、というのが養老さんの持論でもある。

一寸の虫も五分の魂

 会場にはこんな養老さんの言葉が飾られている。

「『一寸の虫も五分の魂』という言葉がある。

どんな小さな虫も相応の命があるから粗末にしてはいけないという意味です。私はこの言葉が大好きです。」

 これまでも養老さんは虫を例にとりながら、命の大切さを説いてきた。著書『死の壁』では、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに対して、虫をからめて答えている。世界中で争いが絶えず、多くの命が失われている今、切実さを増すこの問いに養老さんはどう答えたか。(以下、同書からの抜粋・引用)

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 なぜ人を殺してはいけないのか、という問いを一時期よく目にしました。特に神戸で14歳の少年が連続殺人で捕まった頃に多かったようです。それについて私なりの答えを述べます。

 ここでいったん、ロケットの話に飛びます。

 2003年、中国が有人宇宙船の発射に成功した、と各新聞が1面で取り上げていました。基本的には快挙として扱われていたようです。

 しかし、飛ぶだけなら蠅でも飛ぶわけです。

 あんなにでっかいものが飛んだ。そして狙った通りのところに届いた。それでみんながびっくりしている。驚くのが当然のように思われるかもしれないが、果たしてそうでしょうか。

 よく考えてみれば、蠅でも蚊でも飛ぶのです。それも自分たちの思った通りのところに着陸する。計算通りにしか飛ばないロケットとどちらが凄いのか。そう言われて悔しかったら実際に蠅や蚊を作ってみろ、と言いたくなります。

 宇宙ロケットは非常に複雑に見えて実は極めて単純なシステムです。人間が計画して、その通りに事が進んだら、それはそれですごく嬉しいことかもしれません。

 でも、それで得意になっている奴に、「計算がいくら上手く出来るといって自慢しても、あんた、自分の告別式の日だって知らないじゃないか」と言ったらどうでしょう。言い返せないのではないでしょうか。

 そんなこともわからない人間が、あの程度の計算が出来たといって喜んでいるのが現代文明というものの正体なのです。それで平気で蠅や蚊を叩き潰している。人がなぜ人を殺してはいけないか。その一つの答えがここにあるのです。

壊すのは簡単だが

 人は青酸カリで殺すことが出来ます。出刃包丁で殺すことも出来ます。「吸血鬼」に出てくるみたいに、木の杭のような原始的な道具だって上手に心臓にぶち込めば殺すことが出来るわけです。

 簡単に人間を殺すことが出来るこの青酸カリや出刃包丁や木の杭といったものが、人間とくらべたらどれだけ単純なつくりのものか。

 システムというのは非常に高度な仕組みになっている一方で、要領よくやれば、きわめて簡単に壊したり、殺したりすることが出来るのです(ここでいう「システム」は、人間も含む自然や環境のことだと思ってください)。

 だからこそ仏教では「生きているものを殺してはいけない」ということになるのです。殺すのは極めて単純な作業です。システムを壊すのはきわめて簡単。でも、そのシステムを「お前作ってみろ」と言われた瞬間に、まったく手も足も出ないということがわかるはずです。

 月まで人間が行けると言って威張る。今やそういうことは理論的には難しいことではなくなっています。でも蠅や蚊を作ってみろ、と言われたら、そのとたんにお手上げになるのです。理屈すらよくわからないのです。

 現代の人間というのは精密な時計を分解して得意になっている子供のようなものではないでしょうか。分解して部品を全部机の上に並べてみる。それは子供にだって出来ます。

 私は子供のときに、家にあった高級な時計を分解したことがあります。昔からこだわるほうだったというか、とにかくどんなふうになっているのかと、ひとつひとつ丁寧に分解していった。

 机の上に全部の部品を並べるまでは良かったのです。さて、その分解が終わったところで気づきました。これをどう戻せばいいんだろうか、と。もうお手上げです。

 第二次大戦後、冷戦時代に米ソでどんどん核ミサイルを作った。気づいたらとんでもない数になっていました。

 それを、冷戦終結後に2年間で2万発減らそうという話になった。ところが実際の処理は1ヶ月に数発しか出来ません。とてもじゃないけれど、2万発なんて無理だとなる。

 自分たちで安全に壊すことすら出来ないものを作って一体どうするのでしょう。正気の沙汰ではありません。漫画です。

 中国が有人宇宙飛行に成功したというのも似た類の話ではないでしょうか。ところが、それを新聞によっては大変な偉業のように書きたてます。まあ中国人がそれで喜ぶのはいいでしょう。結構なことです。(略)

潰した蠅を元には戻せない

 さてこう考えればなぜ人を殺してはいけないのか、なぜ生き物を殺してはいけないのか、その答えはおのずと出てくるはずです。

 蠅を叩き潰すのには、蠅叩きが一本あればいい。じゃあ、そうやって蠅叩きで潰した蠅を元に戻せますか。(略)

 今はあちこちで生命を平気で叩き潰しています。そういう現代人が「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれても答えに詰まるのは当然のことかもしれません。

 こういう問いには、現代人よりも昔のお坊さんのほうがよほど簡単に答えることが出来たはずなのです。「そんなもの、殺したら二度と作れねえよ」と。「蠅だってどういうわけか知らないけれど現にいるんだ。それを無闇に壊したら取り返しがつかないでしょう」ということなのです。

 人間を自然として考えてみる。つまり高度なシステムとして人間をとらえてみた場合、それに対しては畏怖の念を持つべきなのです。それは結局、自分を尊重していることにもなるのですから。

 人間は蠅や蚊の仲間か、それともロケットの仲間か。考えてみればすぐわかるでしょう。ところが、これをロケットのほうだと勘違いしている人がいるのではないか。

 ここでさらに、こんなふうに言う人もいるかもしれません。「じゃあ俺は自分を大切にする。でも俺以外の人間を壊すのはどこがいけないんだ」と。

 実際、どこかでそう思っている人は多いかもしれません。しかし、単純な話で、自分一人で生きていけるかというとそうではない。

 他人という取り返しのつかないシステムを壊すということは、実はとりもなおさず自分も所属しているシステムの周辺を壊しているということなのです。「他人ならば壊してもいい」という身勝手な勘違いをする人は、どこかで自分が自然というシステムの一部とは別物である、と考えているのです。

養老孟司(ようろうたけし)
1937(昭和12)年、神奈川県鎌倉市生まれ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。1989年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。2003年の『バカの壁』は460万部を超えるベストセラーとなった。ほか著書に『唯脳論』『人生の壁』など多数。

デイリー新潮編集部

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