「文化を守る」という美辞麗句が「文化を殺す」ことも 批判されがちな博物館の新たな試みに思うこと(古市憲寿)

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 上野の東京国立博物館は、日本最古にして最大級のミュージアムである。去年11月、その博物館にちょっとした炎上騒動があった。本館前の池を撤去して芝生広場にする「TOHAKU OPEN PARK PROJECT」計画を発表したところ、「伝統ある池をつぶすなんて」「逆さ本館が見られなくなる」といった批判がSNS上で展開されたのである。批判者の投稿していた池に映る博物館の画像は確かにきれいだった。だがすぐに疑問が湧いてくる。そもそも最近、あの池って水が張られてないよね?

 ちょうど運慶展が開催されていたので東博へ行ってみると、やはり池に水はなく、近付くこともできない。逆さ本館なんて望むべくもない。調べてみると1年前の2024年末から、水質の悪化や漏水などによって、池の水は抜かれていたという。要は壊れたまま放置されていたのだ。声高に池撤去を批判した人は、一体どれくらいの頻度で東博に通っていたのか。

 文化行政が何か新しいことをしようとすると批判されがちである。最近も、国立博物館や美術館の展示事業に収入目標が設定され、目安を下回る場合は閉館を含めて再編の対象になりうる、というニュースが炎上した。しかも「あの財務省」の意向だという点が火勢を強めた。森永卓郎さんの「遺言」パワーはすさまじい。

 確かに文化に採算性だけを求めるのはナンセンスである。採算度外視で守ろうとした人がいたから文化は受け継がれてきた。だが今回も同じ疑問が浮かぶ。「あなた」は、どれくらいミュージアムに行っているんですか、と。

 博物館・美術館のレベルは千差万別である。東博は収蔵品の量と質では群を抜いているが、展示の見せ方や解説は20世紀で止まっている。都立現代美術館はコレクションこそ弱いが、特別展のセンスはいい。大阪市立東洋陶磁美術館は地味ながら、高麗・宋磁器の質は素晴らしい。一方で、公民館のような部屋に、大した解説もなく収蔵品が並べられているだけの施設もある。日本中のミュージアムがこのままでいいとはとても思えない。

 むしろ役目を終えた方が文化の裾野を広げる、という施設もあるのではないか。例えば京橋(東京)の国立映画アーカイブ。映画を保存・公開することを目的とした日本で唯一の国立映画機関だという。

 だけど今の時代、「アーカイブ」というなら家から見られた方がいいですよね。国立映画アーカイブには上映ホールが設置されていて、古い映画が見られるのだが、京橋まで行くのは一苦労。それなら権利処理が済んだ映画はどんどんオンラインで公開していけばいい。松竹など民間映画会社もフィルムの保管や公開に積極的だ。権利者不明フィルムの管理などは国がやってもいいと思うが、京橋に立派な箱物を持つ必要はない。そのお金は他の文化振興に使えるのでは。文化を守るという美辞麗句が文化を殺すこともある。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2026年4月2日号掲載

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