69歳で旅立った元大関「若嶋津」が“横綱昇進”を逃した大一番 誰もが「南海の黒豹」の勝利を信じた“痛恨の一戦”を振り返る
“南海の黒豹”の異名を取った若嶋津は、新弟子のころは“割り箸”とあだ名されるほどやせて軽量だった。しかし、師匠の初代若乃花のもと、二子山部屋で猛稽古を重ねた結果、身長188センチ、体重125キロながら強靭な足腰で7年目には幕内に上がり、土俵際でも簡単には負けない、粘り強い相撲を身につけた。【取材・文=小林信也(作家・スポーツライター)】
【追悼】相撲ファンに愛された“南海の黒豹”12代目二所ノ関親方のありし日の姿
誰もが若嶋津の勝利を信じたが
大関昇進後8場所目となる1984年3月場所、14勝1敗で初優勝を飾った。横綱・北の湖、大関・琴風、朝潮、北天佑らを破っての初賜杯だった。続く5月場所では9勝に終わり、綱取りに失敗。しかし7月場所ではなんと全勝優勝で再び賜杯を手にした。いよいよ二度目の横綱挑戦となる9月場所、13日目を終えて11勝2敗の若嶋津は、十分に優勝のチャンスを残していた。
横綱北の湖が3日目から休場。横綱・隆の里は4敗、横綱・千代の富士も4敗。優勝争いの先頭は前頭12枚目の多賀竜。さらに前頭6枚目の小錦が2敗で若嶋津と並んでいた。
14日目、審判部は大関・若嶋津と平幕・多賀竜の直接対決を組んだ。若嶋津が勝てば多賀竜とともに優勝争いのトップに並ぶ。逆転優勝を遂げれば、ほぼ間違いなく横綱に推挙されるだろう。絶対に負けられない一番。
それまでの対戦成績は若嶋津の3勝0敗。ファンの誰もが若嶋津の勝利を信じた。しかし、この場所の多賀竜は、特別な勢いをまとっていた。2場所連続で6勝9敗と負け越し、番付は幕尻まで落ちていた。それまで幕内で14場所戦ったが、一度も2ケタ勝利を挙げた経験がない。その多賀竜が、前半戦から隆三杉、小錦、出羽の花らの実力者を撃破し、白星街道を進んだ。9日目、栃剣に敗れたものの、13日目を終えて12勝1敗。別人のような強さで旋風を巻き起こしていた。
多賀竜の見事な勝利
互いに同系色の淡い緑色の締め込みをつけた両力士が土俵に上がった。東に若嶋津、西に多賀竜。この一番、幼いころから相撲少年だった私は固唾をのんで見つめた記憶がある。九分九厘、若嶋津が勝つと思っていた。それまで、多賀竜が強い力士だという印象がまったくなかったからだろう。だが、当時の取り組み動画を見直すと、この日の多賀竜は仕切りの時から頼もしい表情で、眩しくさえ感じられる。爽やかな、そして決然とした闘志にあふれている。一方、若嶋津は厳しい眼差し。最後の仕切りを終えて立ち上がる時、両手で二度、勢いよくふくらはぎを叩いて気合いを入れた。
うつむき加減に塩を撒き、神経質そうに首を不自然に回す仕草が極度の緊張を物語っているように見えなくもないが、それが勝負に影響するほどの重圧にはその時は見えなかった。
一度、多賀竜が先に突っかけ。仕切り直し。二度目、低く勢いよく当たった多賀竜の頭が下から若嶋津の左頬を強打し、若嶋津が一瞬、膝を落としかけたように見えた。だが、すぐ立ち直り、左上手を取って多賀竜の得意な右四つで組み合った。多賀竜の廻しがゆるい。左上手がどれほど効くのか。案じられるが、組み合ってしまえば若嶋津の優位は動かないだろう。そう思ったが。多賀竜は先に先に攻め続け、若嶋津の体勢を崩しにかかる。先手先手に回る多賀竜の勢いに圧され、若嶋津は防戦一方になり、ついに土俵下に押し倒されてしまった。
多賀竜の見事な勝利、というほかはない。これほど勢いのある、先に先に攻める相撲が持ち味だっただろうか。多賀竜は一世一代の相撲を取り、大関若嶋津を破った。1敗を守った多賀竜は、千秋楽で大関・朝潮に敗れたものの、小錦が大関・琴風に敗れたために優勝が決まった。
[1/2ページ]


