69歳で旅立った元大関「若嶋津」が“横綱昇進”を逃した大一番 誰もが「南海の黒豹」の勝利を信じた“痛恨の一戦”を振り返る

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多くのファンを魅了した若嶋津の相撲人生

 一方、若嶋津は平幕に敗れ、綱取りの夢がまたも砕かれた。この一番は、若嶋津の相撲人生の中で、“痛恨の敗北”だったろう。皮肉なことに、多賀竜はその後、幕内では一度も2ケタ勝利を達成することなく、むしろ負け越しの方が多い幕内生活を送った。若嶋津とも以後4度対戦し、すべて敗れている。

 あの日だけ、多賀竜は普段と違う“何者か”になってしまったのだろうか。そして若嶋津は不運にも豹変した26歳の若武者に夢を断たれた。

 その翌年、1985年3月場所で、若嶋津が後に「生涯最高の相撲」と語った一番があった。14日目の横綱千代の富士戦。10勝3敗の千代の富士と11勝2敗の若嶋津。2敗で大関朝潮とトップに立つ若嶋津にとっては負けられない一番。対戦成績は千代の富士の15勝1敗と圧倒している。若嶋津はそれまで同じ左四つ得意の千代の富士にまったく歯が立たなかった。

 立ち合い、鋭く立って前みつを取った若嶋津が優位に勝負を運んだ。土俵中央で左四つになり、巻き替えて両差し、若嶋津が吊り気味に千代の富士を土俵際に押し込んだ。が、千代の富士も簡単には土俵を割らない。激しい攻防は1分42秒におよび、最後は土俵際、左からの下手投げが決まって若嶋津が千代の富士を破った。これで3度目の優勝を果たせば、もう一度、綱取りのチャンスをつかめるはずだった。しかし、若嶋津は千秋楽で朝潮に敗れ、準優勝にとどまった。

 多くのファンを魅了した若嶋津の相撲人生は十分に素晴らしかった。同学年(私は1956年5月、若嶋津は1957年1月生まれ)の立場からすれば、あのころ日本の歌謡界で輝いていた実力派アイドル歌手・高田みづえを射止めた、それだけでも言葉にならない羨望の人生だった。高田みづえは華やかなトップスターの座を惜しげもなく捨て、若嶋津夫人として、親方夫人として相撲界を支え続けた。

 若嶋津こと、日高六夫は、3月15日に逝去された。心からご冥福をお祈りします。

 そして、一山本、島津海ら弟子たちの益々の活躍、元関脇・玉乃島が継承した放駒部屋の隆盛を祈ります。

スポーツライター・小林信也

デイリー新潮編集部

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