68歳にして“電流爆破”プロレスを開催! FMWの「新日」参戦で猪木氏に「お前たちにあの“毒”が飲み込めるのか?」と言わしめた“涙のカリスマ”
「記事の扱いは大きくだぞ」
以前も「デイリー新潮」で書いたが、マスコミに対して実は人当たりが極めて良く、ファンも多い大仁田((※「デイリー新潮」2026年2月19日配信)。レスラー側から、その人柄を評価する声を聞いたのは、2016年の取材だった。
「自分、大仁田さん、大好きですよ」
それは、FMWの初期の試合にも上がり、自らも過激なデスマッチを連発し、“Mr.デンジャー”の異名を持つ、松永光弘だった。
「大仁田さんはね、問題のある選手は、絶対に使わないんです。この世界には、ギャラのこと、試合での扱い、色々文句を言う人が沢山いる。大仁田さんはそういう人が大会の和を乱すことがわかってる。だから使わない。すると、上がる僕らはやっぱり気持ち良く戦えるもんなんです。今でも大仁田さんが主宰する大会が多いのは、そういう心遣いあってのことだと思いますよ」
2024年9月、小林邦昭の訃報が入ると、大仁田はSNSにこう書いた。
〈リングに上がれなくなった時も武道館のリング上から
『大仁田来いや』と声をかけてくれた
あの時のことは今でも忘れない〉(Xより。2024年9月10日)
小林との小競り合いは、大仁田が喧嘩を売ったわけではなく、小林の方から、既に引退していた大仁田を挑発したものだったのだ。時を経て、小林をリングに上げることになる、大仁田のコメントも残っている。
「(引退していた身ながら挑発されて)俺、あの時、ドン底だった。だから、ものすごく嬉しくてねぇ……。その恩返しの意味も含めて、ぜひ小林邦昭にリングに戻ってきてもらいたい」(2012年12月4日)
一時期、山手線沿線の駅を最寄りとする、実母が経営するイタリアンの2階に住んでいた大仁田。ある記者が取材に行くと、大仁田は寝ており、身を起こすと、こう言った。
「あぁ、眠いなあ。もう、そっちで適当に書いておいてくれよ。俺、何書いても怒らないから」
呆れた記者が、「悪口を書くかも知れませんよ(笑)」と返すと、「別にいいよ、それでも」と答え、大仁田は続けた。
「だけどな。記事の扱いは大きくだぞ。俺、扱いさえデカければ、何書かれてもいいから」
同じ理念を、1人だけだが、違うプロレスラーから、筆者は聞いたことがあった。
それは、他でもない、アントニオ猪木だった。
※1=3月20日(金)、山梨県甲斐市 「Kai・遊・パーク特設会場」で開催される「シアタープロレス花鳥風月&Chikako Dance School 主催 Get the Gloryプロジェクト 卒業進級記念大会」に大仁田も出場。2年前、山梨県立農林高校の収穫感謝祭でプロレスを開催した縁。同大会は、その際参加したレスリング部の生徒たちの卒業祝いも兼ねている。
※2=1974年12月5日、日大講堂で王者ケン・マンテルに鶴田が3本勝負で挑戦し、1-1から両者リングアウト。
※3=当時の新日本が猪木の副業のバイオ事業「アントンハイセル」から来る負債に苦しんでおり、それを漏れ聞いた馬場が、「新日本の金儲けに使われてはかなわん」とやんわりと身を引いたとされる。



