68歳にして“電流爆破”プロレスを開催! FMWの「新日」参戦で猪木氏に「お前たちにあの“毒”が飲み込めるのか?」と言わしめた“涙のカリスマ”

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苦難の道を乗り越えて…

 第二の人生を歩む大仁田に、世間の荒波はことさら厳しかった。最初は電電公社(現NTT)の代理店を作るがすぐに倒産。パブやキャバレーに投資するも客が入らず、2000万円もの借金が残った。お歳暮の配達や、工事現場の日雇いで糊口を凌いだことも。

 引退していたこの時期、1度、プロレス会場で注目されたことがある。1985年6月21日、日本武道館大会で、試合を勝利で終えた小林邦昭と、客席から小競り合いを演じたのだ。リングに復帰したい気持ちの発露だったのか。なお、小林が直前に下していた相手は、偶然にも、2代目タイガーマスクであった

 そして引退から4年後の1989年、大仁田は自ら新団体FMWを旗揚げし、本格復帰する。金がなかったため、以前潰して休眠状態だった電電公社の代理店を社名変更して登記。最初の練習用のリングは、ファンがトレーニングや遊びで使うもので、通常の3分の2の大きさだった。なんとか盛り上げようと、旗揚げ会見をマスコミに知らせるFAXには(会見中に)「乱入あり」と添え書きした。事務所に割り当てられた電話番号に「7」が5つも入っていたことを喜んだ。

 その後の大仁田の活躍は知られるところだろう。当時、人気だった第2次UWFが標榜したスポーツライクな格闘スタイルとは真逆の、デスマッチを主流に台頭。有刺鉄線電流爆破マッチを発案、実行し、大興行を成功に導く存在に。それどころか“邪道”を旗印に、正統なプロレスとは異なる企画を次々と実現し話題を呼ぶ。男女混合タッグマッチに水上リングでの激闘、はたまた、台風でリングが届かなかった時には、体育館のマットレスを用いて「ノーリングマッチ」を敢行。1999年1月4日、遂に業界の盟主、新日本プロレスの東京ドーム大会に参戦という見込みになった時、猪木が新日本の社員を前に、大仁田をこう表現して猛反対したのは有名だ。

「お前たちに、あの毒が飲み込めるのか!?」

 だが、実際、大仁田の新日本への参戦が決まると、チケットは一気に9000枚はけたという。

 以降、引退と復帰を繰り返し、現役を続ける大仁田。こちらも復帰なった初代タイガーマスクとの対戦は約30年後の2012年に実現。既に新たな格闘術も極めていたタイガーは、「(大仁田には)可哀そうなことになる」「15秒くらいで終わっちゃうかも?(笑)」と楽観視していたが、大仁田が得意の乱戦や凶器攻撃、毒霧まで噴射してタイガー側を翻弄。抗争は続き、翌年1月にはかつて乱闘した小林邦昭までもがリングにカムバック。永遠のライバルである初代タイガーマスクと夢のタッグを結成し、大仁田組を撃破している。

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