「オレが面倒を見るしかねぇなぁ」 紅白出場もドン底に落ちた「純烈」に助け船…“ムード歌謡の大先輩”の粋なひと言

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが俳優、歌手、タレント、芸人ら、第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第59回はムード歌謡グループの純烈。戦隊ヒーロー出身の俳優たちがグループを結成するまでの意外な真実を明かします。

「一緒に紅白歌合戦、行かねぇか」

 ムード歌謡グループ「純烈」は「あの一言」からではなく、「あの曲」がすべての始まりだった――それは前川清が歌う「長崎は今日も雨だった」。

 もともと純烈は、戦隊ヒーロー出身の俳優らがメンバーだが、企画・立案、言い出しっぺはリーダーの酒井一圭(50)。

 07年、酒井は自主映画の撮影で左足脱臼、脛を複雑骨折する大けがをし、手術した。医者には「歩けなくなるかもしれない」と言われ、40日間も入院。頭の中は今後のことと、家族のことでいっぱい。

 そんな中、天からの予言のような不思議なことが起きた。メンバー5人を前にしてのインタビューで、酒井がその時のことをこう語っている。

〈呆然としていた時、なぜか毎晩、夢の中に「内山田洋とクール・ファイブ」が出てきて、前川さんが「長崎は今日も雨だった」を歌うんです。前川さんの大ファンだったというわけでもないのに。それである時、ハッと気づいたんです。前川さんもバックコーラスも歩いていないって。歩かなくても、人を喜ばすことができると教えてくれたのかなと。そこで、退院してまだ松葉杖状態の時に「ムード歌謡をやる!」と宣言……〉

 ケガをして歩けない酒井と、棒立ちで歌う前川のオーバーラップという、実に摩訶不思議な光景だが、「♪ああああ~、長崎は今日も雨だった」のフレーズが、その後の酒井と純烈のメンバーの運命を決めた。

 酒井が最初に声をかけたのがボーカル担当の白川裕二郎(49)。戦隊ものに出演して知り合った白川をファミレスに呼び出し、大胆にも「一緒に紅白歌合戦、行かねえか」と口説いた。

 最年少だった後上翔太(39)はデビューがまだ決まっていないのに、「デビューは決まっている」という酒井の言葉を鵜呑みにしてメンバーに加わった。

「涙の銀座線」でメジャーデビューしたのが2010年。当時のメンバーは酒井、白川、後上、小田井涼平、友井雄亮、林田達也の6人だった。紅白出場は18年(林田は16年に脱退)。この時、メンバーの平均身長は183センチ。日本でもっとも高身長の異色のユニットだったと思う。

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