「オレが面倒を見るしかねぇなぁ」 紅白出場もドン底に落ちた「純烈」に助け船…“ムード歌謡の大先輩”の粋なひと言

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「紅白に落選した純烈です」

 メンバー全員のインタビュー、それとは別に各メンバー2回ずつの連載、合計10回を行ったのはその前年の17年だった。正直なところ、当時はまだ先行きどうなのか……という感じだった純烈に、ある意味、肩入れしたのには理由があった。

 日刊ゲンダイ大阪のスタッフが、ボートレース尼崎のイベント企画に、純烈を何度か呼んでいた。そのスタッフから「面白いグループがいる」という話を聞いていたことと、筆者が純烈が所属するレコード会社の担当者から、「スーパー銭湯ですごい人気になっている、戦隊ヒーロー出身のムード歌謡グループがいるので取り上げてくれないか」と言われたのがちょうど重なり、ピンと来るものがあった。戦隊ヒーローにスーパー銭湯?……なんかややこしいなぁ、と思いながら。

 17年は紅白の選考から漏れたが、翌年、見事に初出場。後上は21年の「その瞬間」というインタビューでこう語った。

〈「紅白に出る」と公言してスタートしたグループです。最初はふざけて言っているのかと思われていたくらいで正直、出られないだろうなという感じで、不安にも思わない時代が長かったんです。毎年、紅白の発表がある11月中ごろにはステージで「紅白に落選した純烈です」と言うと爆笑が起きました〉

 しかし、嘘から出たまことというべきか、結成11年目で夢は現実になった。18年は平成最後の紅白だった(第69回)。この時の紅白は、戦後を象徴するようなフィナーレになった。桑田佳祐、ユーミン、そして北島三郎が揃い踏みした記念すべき紅白のステージに純烈は立った。

 ところが、好事魔多しとは言ったもの。翌19年、年明け早々に大問題が発生する。関西ジャニーズJr.出身、振り付け担当の友井がグループを離脱するスキャンダルが起きる。この時は記者会見に臨んだ友井を見ながら「純烈もここまでか」と思ったように記憶している。

 しかし、天は見捨てなかった。明治座で座長公演をやっていた前川が「君たちは渦中の人だし、チケットが売れるから4人で来て」と助け舟を出してくれたのだ。

 小林幸子の言葉も重い。〈(小林からの誘いを)「ご迷惑をかけるので…」と断ったら、「芸能界はいろいろあるけど、頑張る人が集まるところよ」と言ってくれた〉(後上)

 さらに、苦難は続く。コロナが始まったのは20年。純烈のファンは熱烈なことで知られる。ライブでハグするのは大切なファンサービスだが……。

〈最初は握手なし、写真撮影なし、ハイタッチだけとか。でも、そのうち仕事そのものが飛んで。そりゃ、そうですよ。純烈の最大の武器は濃厚接触ですから。もう翼をもがれて、足をバタバタさせて前に進むしかない状態でした〉(後上)

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