安全保障研究の第一人者「佐瀬昌盛さん」 貫いた現実主義と公平【追悼】
物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は2月24日に亡くなった佐瀬昌盛さんを取り上げる。
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偏見を持たれた研究
国際政治学者で防衛大学校教授として長く教鞭を執った佐瀬昌盛さんは、東西冷戦、安全保障研究の第一人者として活躍してきた。
50年以上親交の深かった、ユーラシア21研究所理事長の吹浦忠正さんは振り返る。
「現実を緻密に客観分析、やがて政策提言にも関わりますが、感情を交えて語らず、政治の思惑に合わせることもない。極めて公平で、分からない点ははっきり分からないと言う。ベルリンの壁が築かれた1961年から3年間、ベルリン自由大学に留学した経験が研究姿勢の原点でした。東西対立の最前線に暮らし、冷戦はいかなるものかを日常の肌感覚で理解した。冷戦下、ヨーロッパからソ連を捉える視座を持っていた佐瀬さんのような研究者は日本にほとんどいません」
34年、大連生まれ。東京大学教養学部を経て大学院では国際関係論を専攻。留学で冷戦の現実を直視するが、日本では平和を求めていれば侵略されたり戦争に巻き込まれたりするはずがないと説く知識人が主流を占めていた時代だ。
74年、防衛大学校教授に。
防衛大学校の元学校長、西原正さんは言う。
「当時は安全保障、防衛に関する研究は偏見を持たれていました。日本の根本に関わり避けてはいけない問題だと誠実に向き合った。NATOに関する論考も早くから示していた」
89年、東欧諸国の共産政権が相次いで崩壊、翌年には東西ドイツの統一が実現すると、長年当地を知る専門家としても注目された。
「変化はつかんでいたが事態がどんどん先に進んだと正直に話していた。起こるべくして起こったなどと事後的にもっともらしく説明しなかった」(吹浦さん)
ソ連の行く末にも慎重な見方を崩さなかった。
「冷戦の敗者はソ連なのに負けた意識がない。ソ連が崩壊しロシアが自助努力で改革するというのはドイツを中心とした西欧の思い込みに過ぎず、援助は底無し沼になると警戒。事実、混乱に陥った。佐瀬さんはソ連時代から民間レベルの交流の機会を生かしていた。ソ連側に耳の痛い話も堂々と述べる。だからこそ一目置かれた」(吹浦さん)
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