就職先が見つからず直接「セガ」へ、まさかの即採用… 『メガドライブ』『セガサターン』生みの親がゲームに捧げた半生【追悼】

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『メガドライブ』『セガサターン』『ドリームキャスト』といった家庭用ゲーム機の開発に携わった、セガ元社長の佐藤秀樹さんが2月13日に亡くなった。偶然入社したセガで、最先端技術を「家で遊ぶ機器」に惜しみなく注いだその半生を振り返る。

子どもの遊び、大人の遊び

 街頭にあるゲーム機の人気を強みに成長してきたセガ。1980年代に入ると、ライバルの任天堂と肩を並べて家庭用ゲーム機の開発を進めていく。自宅でいつでも好きな時に遊べるならゲーム機にお金を投じるのではないか、という読みである。

 その読み通り、瞬く間に普及した家庭用ゲーム機の人気ぶりについて、ゲーム雑誌の記者はこう語る。

「セガの『SG-1000』、任天堂の『ファミリーコンピュータ』という家庭用ゲーム機が発売されたのは、1983年の同じ日でした。以来、家庭用ゲーム機は一大市場となり、同年に開業した東京ディズニーランドとともに、子どもと大人の遊びの境界線をなくしたと言われるほど画期的な商品となりました。家庭用ゲーム機で遊ぶには、ゲーム機本体とゲームソフトが必要です。ゲーム機には性能の高さはもちろん、遊ぶ人の手になじむような形や重さ、斬新なデザインなど様々な創意工夫が込められています」

ゲーム機の機体作りから

 佐藤さんは、セガが発売した全ての家庭用ゲーム機本体の開発責任者を務めてきた。

 1950年、北海道・芦別に生まれ、東京都立工業短期大学(現在は閉校)に進み、電気系について学ぶも、卒業した1971年3月末にして就職先がない。遊ぶものなら面白そうだな、と約束もせずにセガ(当時はセガ・エンタープライゼス)を直接訪問すると偶然、開発部門に1名欠員があり、即日採用されたという。
                  
「その頃のセガはシンプルな業務用ゲーム機やジュークボックス、スロットマシンが主力商品でした。佐藤さんは入社当初は、金属を曲げたり穴をあけたりと、業務用ゲーム機の機体作りからスタートして、やがて開発に携わっていきます」(先の記者)

家庭用ゲーム機は商売になるのか

 セガ初の家庭用ゲーム機『SG-1000』はわずか3人で開発を始めたという。

「セガの社内では、ゲームセンターにあるようなアーケードゲームの方が上という意識が強かったのです。家庭用ゲーム機でゲームファンが増えれば、ゲームセンターのお客さんも増えるはずとの目論見もありました。任天堂のファミコンには大きく水をあけられたものの、初年度で想定以上の約16万台を販売します。家庭用ゲーム機事業はビジネスとして成り立つと認められたのです」(先の記者)

 当時最大のライバルは任天堂である。

「ゲームソフトの魅力や数では任天堂に見劣りしてしまう。競争に勝つために高性能のゲーム機を次々と出すのが、セガの方針であり開発責任者である佐藤さんの考え方でした。業務用ゲームで培われた技術は活かされても、家庭用は小型で軽量な機体に基板を収め、しかも丈夫で壊れにくい作りにしなければなりません。佐藤さんはセガが作る以上、コストの制約はあっても最先端の技術を惜しみなく投入し、その時代で最高品質のものを世に出そうとしました。佐藤さんは人の意見も取り入れ、任せる人。チームの中で人望も厚かったのです。業界内では知られた存在でも、手柄話はしませんでした」(先の記者)

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