「モッツァレラボディ」で涙の家族会議 「芸能界をやめるか、井口家から出ていくか」究極の選択を迫られた井口綾子
「週プレ」で巻頭グラビア
昨年、自身の病気を公表し話題になったタレントの井口綾子(28)。幼いころから「芸能界への夢」を持っていたという。大学時代には、「週刊プレイボーイ」で巻頭グラビアを飾った。その時の異名は「モッツァレラボディ」。インパクトのあるネーミングだが、これにより「涙の家族会議」が行われたのだった。(全3回の第2回)
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【写真】「モッツァレラボディ」と言われたモデルの頃、青学時代には「肩出しドレス」姿も。当時から「美少女」…幼少期、小学、高校の井口綾子
芸能界に憧れたのは小学生の頃。雑誌「ピチレモン」や「Seventeen」を愛読し、「この世界に入りたいな」と思っていたという。憧れの人は、モデルの桐谷美玲だった。
しかし、厳格な父親からは「芸能界は危ない場所だから」と猛反対された。高校時代に「Seventeen」のオーディションで書類審査を通過した際も、その後に進むことを許されなかった。
「私は高校を辞めてでも、オーディションを受けたいと思ったんですが、父からは『芸能界でも学歴は武器になるから、芸能界に入るには、きちんと高校を卒業して大学に行ってから』と言われました」
青山学院大学に進学後、意欲的な挑戦を続けた。大学1年生の時には、学生モデルオーディションを受けたのを機に、雑誌「週刊朝日」の女子大生表紙モデルに抜てきされる。翌年には、AbemaTVで学生キャスターも務めた。
大学2年の時には「ミス青山コンテスト2017」に出場し、準グランプリを獲得した。ここでようやく、反対していた父も「知名度もついて、ここまできたんだったら、いいよ」と認めてくれた。その後、芸能事務所に所属し、本格的な芸能活動が始まった。
一躍脚光を浴びたのは、2018年の雑誌「週刊プレイボーイ」でのグラビアデビューだった。そこでは、色白でもっちりした肌質から「モッツァレラボディ」というキャッチコピーをつけられた。
「発売された誌面を見て初めて、自分が『モッツァレラボディ』と呼ばれていることを知ったんです。事前に何の相談もありませんでした(笑)。『マシュマロボディの進化系か、まあいいか』と思っていましたね(笑)。でも、そのネーミングのおかげで『モッツァレラの……』と言えば思い出してもらえることが多かったので、とても気に入っています」
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