“男気”が溢れる…古巣に帰ってきた“4選手”はどんな活躍を見せたのか?

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泥だらけでプレーしている姿を見ていただきたい

 2016年、広島の25年ぶりVの立役者となった新井貴浩と黒田博樹も、前年に阪神、MLBから揃って8年ぶりに古巣復帰したことで知られている。

 新井は阪神最終年の14年、一塁でポジションが重なるゴメスの加入で出番が減り、ソフトバンクとの日本シリーズも、腰痛の影響で1試合も出ることなく終わった。

 「もっと試合に出たい。体だってまだまだ大丈夫だ」と自分の居場所がないことを痛感した新井は、オフの契約更改で減額制限を大幅に超える条件を提示されると、新天地での出場機会を求めて、自由契約になった。

 移籍先については、少なくとも古巣の広島だけはないと思っていたという。FAで出て行った人間が戻ってくるのを、ファンは絶対に許してくれないだろうと考えていたからだ。

 だが、思いもよらず、鈴木清明球団本部長から「帰ってこい」と温かい言葉をかけられた。「自分は帰ってはいけない」という心の葛藤に対しても、「関係ない。大丈夫」と何度も念を押してくれた。

「『帰ってこい』と言ってもらえただけで、本当に嬉しかった。それで十分だ。そして何より、復帰を決断した一番の理由は、やはり自分はカープが好きだ、ということだ」(自著『赤い心』角川書店)。

 11月14日、広島入団会見の席で、新井は「初心に帰り、泥だらけでプレーしている姿を見ていただきたい」のメッセージをファンに贈っている。

午後9時の久慈

 一方、ヤンキースからFAになった黒田は、14年12月中旬の時点でメジャー3球団と広島からオファーを受けていたが、なかなか最終決断を下せないでいた。

 40歳になり、メジャーで1年間先発ローテを守る“最低限の仕事”を全うできるかどうか、不安が強くなっていた。近年はシーズン終盤に体力が限界を超え、メンタルで補うことによって、何とか投げ通していた。

 悩みに悩んだ末、「自分がマウンドに立ったときに、奮い立たせてくれるものは何か?」と考えたとき、毎年のように「戻ってきてほしい」とラブコールを贈り続けるカープファンの存在が脳裏に浮かんだ。

「もう、最後は訳がわからなくなっていた。よし、カープに帰ろう。そう決めたのは、アメリカ時間で12月26日のことだった」(自著『決めて断つ ぶれないために大切なこと』KKベストセラーズ)。

 そして、前出の鈴木球団本部長に電話して「帰ります」と告げた瞬間、8年ぶりの“広島・黒田”が実現した。

 新井、黒田が復帰した15年、広島は4位に終わったが、翌16年、新井は打率3割、19本塁打、101打点、黒田は10勝を記録し、揃ってリーグ優勝の立役者になった。

“平成の牛若丸”の異名をとった俊足・堅守の内野手・久慈照嘉も、中日時代の2002年オフ、コーチ就任の話を断って自由契約になると、同年から阪神の監督に就任した恩師・星野仙一監督から「お前の枠を取っておく。また同じ仕事をしてくれ」と守備要員の能力を買われ、6年ぶりに古巣のユニホームを着た。

 星野監督は中日時代の99年4月28日の阪神戦で、次にシングルヒットが出ればサイクル達成のルーキー・福留孝介に代わって7回から久慈を守備固めに送り、「福留の記録? あと10何年もやるんだから、そんなチャンスはまだまだある。チームが勝つためには久慈の力が必要」と言い切るほど信頼していた。

 翌03年は主にショートの守備固めとして“午後9時の久慈”と呼ばれたほか、貴重なバイプレーヤーとして阪神の18年ぶりVに貢献した。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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