“男気”が溢れる…古巣に帰ってきた“4選手”はどんな活躍を見せたのか?
ソフトバンクで2年連続リーグ最多勝をマークした有原航平が6年ぶりに古巣・日本ハムに帰ってきた。先発陣の柱の加入は、就任5年目で頂点を狙う新庄剛志監督にとっても、大きな追い風となる。そして、過去にも移籍先から数年後、古巣に帰り、優勝に貢献した男たちが存在した。【久保田龍雄/ライター】
運命だったように思います
「(有原に続いて)上沢(直之)君に帰ってきてほしいなと思います」の新庄発言に対し、「渡せません!」と突っぱねたソフトバンク・小久保裕紀監督も、その一人である。
ダイエー時代の2003年オフ、当時の球団フロントとの確執などから、自らトレードを志願して、異例の無償トレードという形で巨人に移籍すると翌04年、右打者では球団史上初のシーズン40本塁打以上(41本塁打)を達成するなど、中心打者として活躍した。
さらに06年には、移籍選手では球団史上初の主将に指名され、「ジャイアンツで現役を終える」と決意した。
だが、同年6月2日の西武戦で三ゴロを処理した際に右手親指内側側副靭帯を剥離骨折し、2ヵ月半戦線離脱したことがきっかけで、野球人生が変わっていく。
直後の6月下旬、ダイエー時代の恩師・王貞治ソフトバンク監督が胃に腫瘍が見つかり、7月6日に手術入院した。退院後、小久保が見舞いに行くと、王監督は自身の容態よりも親指のケガを心配してくれた。
もし、ケガをすることなく、試合に出つづけていれば、チームのこと以外考える余裕もなかったはずだが、日に日に小久保の心の中で「また王さんと同じユニホームを着て戦いたい」の思いが強くなっていった。
「私はジャイアンツに対して何の不満もありませんでした。それどころか、キャプテンを任され、けがで二か月半も離脱したことで、チームに迷惑をかけてしまい、申し訳ない気持ちのほうが強かったです」(自著『一瞬に生きる』小学館)。
迷いに迷った末、オフにFA権を行使し、3年ぶりにホークスに復帰した。
「あのトレードから三年。こうして福岡に帰ることは運命だったように思います」(同書)。
王監督の在任中に胴上げする夢は叶わなかったものの、チームは2011年に8年ぶりの日本一を達成し、小久保はシリーズ史上最年長(40歳1ヵ月)のMVPに輝いた。
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