キャンプ中に起きた珍事件…突然実家に帰った「広島捕手」に新監督の人形にボールを当てまくった「中日投手」

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 プロ野球の春季キャンプも後半に突入したが、約1ヵ月のキャンプ期間中には、毎年いろいろな出来事が起きている。当時は新聞などでそれほど大きく報じられなかったものの、「そんなこともあったなあ」とファンが懐かしく思い出すようなちょっといい話や思わずクスリとさせられるような過去の珍事件を紹介する。【久保田龍雄/ライター】

瀬戸はラッキーボーイだねえ

 キャンプイン直後、突然引退を申し出て実家に帰ってしまったのが、広島の捕手・瀬戸輝信だ。

“ポスト達川光男”と期待され、ドラフト1位で入団したものの、課題の打撃を克服できず、4年間低迷が続いた瀬戸は、「これ以上続けていく自信がない」と悩んだ末、1995年2月、沖縄キャンプがスタートした直後、首脳陣に退団を申し入れると、説得にも応じず、福岡県の実家に帰ってしまった。

 当初は「風邪でリタイア」と報じられたが、騒動がわずか2日後に丸く収まったことで、真相が明らかになる。

 帰省後、父親や周りの人々に説得され、「もう一度野球をやりたい」と思い直した瀬戸は2月3日の夜、上土井勝利球団本部長に電話で「ご迷惑をおかけしました。またゼロからやり直したい」と伝え、「本人にやる気があるのなら」とチームへの復帰を許された。

 キャンプは2軍から再スタートも、「考えてみれば、ずっとプレッシャーを感じながら野球をやっていました。プロに入ってからじゃなく、大学時代にしてもそう。野球が楽しいなんて思ってプレーするのは、小学校以来でしょう」(週刊ベースボール1995年7月3日号)と精神的に吹っ切れたことが大きなプラスになる。

 プレッシャーから解放され、伸び伸びプレーしたのが吉と出て、シーズン開幕後は2軍戦で安打を連発するなど、打撃開眼。5月下旬に1軍登録されると、同31日の阪神戦で猛打賞、6月3日の巨人戦で2安打、4打点を記録し、三村敏之監督も「瀬戸はラッキーボーイだねえ」と目を細めた。

 98年には正捕手として自己最多の120試合に出場するなど、西山秀二とともに90年代後半の広島捕手陣を支えた。

同じチームでオレとホームラン競争をしような

 オリックス時代の清原和博が“弱い者いじめ発言”をソフトバンク・王貞治監督にたしなめられるひと幕があったのが、2008年のキャンプ中だった。

 左膝のリハビリのため、2軍の高知キャンプで調整していた清原は2月2日、オリックスと入団合意したはずの前巨人の投手・パウエルがソフトバンクとも契約合意していた二重契約問題について、「王さん、こっちも去年最下位やし、弱いもんいじめせんとってくださいよ。『オリックスは可哀相やから、もう(くれて)やれ!』ってのはないのかなあ」と冗談めかして、宮崎キャンプ中の王監督にメッセージを送った。

 清原のコメントを知った王監督は不快感を抱いたとも伝えられたが、おくびにも出さず、「最下位チームをいじめるとか、そういうつもりでやっているんじゃない。お互いベストを尽くしてやることで、(交渉は)球団と球団が話し合うこと。オレたちが出て行ったら、ややこしくなる」と、理路整然とたしなめた。

 “球界の至宝”に諭され、自らの発言を反省した清原は「気分を害されたら本当に申し訳なく思います。僕もオリックスの人間として今年は勝ちたいと思ったから(口が滑ってしまった)」と謝罪し、「23年前は(ドラフトで巨人に指名してもらえず)18歳ながら王さんのことを良く思わなかったけど、今朝新聞を読んで(交渉は)フロントがやることと理解できた。パウエル問題は状況が違うけど、すごく吹っ切れたし、清々しい気分で球場に来られた」と長年のわだかまりが解けたような様子だった。

 それから8ヵ月後の10月1日、ソフトバンク戦で23年間の現役生活に終止符を打った清原は、引退セレモニーで王監督から花束を渡されたときに「生まれ変わったら、同じチームでオレとホームラン競争をしような」の言葉をかけられ、感涙にむせぶことになる。

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