94年「銀行支店長射殺事件」で“拳銃を持った老人”はなぜ出頭したのか 実行犯を明かさぬまま逝った男の裏街道人生

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「自分が関係したことは申し上げるつもり」

 男は短銃のようなもので渡辺氏を脅し、その場から連れ去ろうとしていた。裕福な男性を銃で脅して拉致し、カネを奪うという手口は、A医科医大事件などとよく似ている。そこで捜査官が事情を聴くと、近藤は関与を認め、強盗致傷で再逮捕となった。

 公判での近藤は相変わらず飄々とした態度を維持したが、支店長射殺事件については気になる証言を残している。

〈近藤被告は弁護士に支店長射殺事件について問われると「殺しの要素が入ったため、私は途中で降りた。実行犯は別にいる」と述べ、「自分が関係したことは申し上げるつもり。めい土に行く前に一つずつ片づけたい」とも語った〉(「毎日新聞」2000年1月26日付)

「週刊新潮」(2003年4月24日号)が掲載した「住銀『名古屋支店長』射殺事件 凶器の拳銃『レディスミス』を渡した男」で、ノンフィクションライターの森功氏は、近藤の周辺でうごめく“闇の紳士”たちを解き明かしている。住友銀行の懸案事項だった「不良債権トラブル」に関係する男たちと近藤は、岐阜刑務所で接点が生じていたという。当時の近藤はA医科大事件で裏社会の有名人となっていた。

〈近藤は、所内で10人ほどの囚人と作業場で袋張りに従事している。大勢で作業する工場では、「あっ、あれが近藤や」といわれたり、「先輩!」と声をかけられたりするので、“人目”に触れない袋張り作業に、自分から頼んで配属してもらったという〉(「週刊新潮」1980年10月2日号)

すべてを語らぬまま獄中で病死

 では、近藤は支店長射殺事件の背景をすべて知っているのか。それとも、あくまでもただの「出頭役」なのか。森氏は「最大の鍵を握る近藤忠雄」(「週刊新潮」2003年4月24日号)と綴ったが、近藤が真実を語る機会は永遠に失われてしまった。

 2009年4月、近藤が同年1月に獄中死していたことが公表された。享年87。JRA理事長襲撃事件や別の強盗未遂事件で刑期が追加され、同年6月に出所予定だった。出所後にもう一旗揚げる、とも宣言していたという。

〈「自分なりの犯罪哲学を持った人間だった」。愛知県警の元幹部はそう振り返る。元幹部によると、3億円事件(A医科大学事件)で逮捕された際、近藤受刑者は「他の罪名(別件)で逮捕されたら何も言わないが、あんた方が正面から(本件で)逮捕したら。うたおう(自供しよう)」などと言ったという〉(「朝日新聞」2009年9月11日付)

 同年9月14日0時、支店長射殺事件は公訴時効を迎えた。15年間の捜査対象者は1700人に上ったが、ついぞ実行犯には手が届かなかった。実行犯の正体、事件の社会的背景や動機――このまま時に流されてしまう謎の数々には、その波間を漂い続けた近藤自身も含めるべきだろう。

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 その男はふらりと広島に現れ、「満州から戻った」と言った――。第1回【70年代「約3億円詐欺」、90年代「銀行支店長射殺」…戦後日本を犯罪で渡り歩いた男の裏街道人生】では、A医科大学詐欺事件に至るまでの前半生などを伝えている。

デイリー新潮編集部

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