70年代「約3億円詐欺」、90年代「銀行支店長射殺」…戦後日本を犯罪で渡り歩いた男の裏街道人生
強盗を犯して広島へ逃亡
〈近藤は市内の材木屋で働き始めたが、一年もしない間に、Mさん宅の近所に、バラックながら家を建ててしまった。どうやって金を作ったのか、Mさん夫婦は驚いた。さらに1年後、近藤は隣家に放火し、逮捕された。で、余罪が判明。昭和22(1947)年、名古屋銀行で強盗。当時、近藤の父親は名古屋市内の銀行で小使い(雑用事務員)をしており、その父親を利用して銀行の内部事情を調べ、現金輸送の途中を狙い、麻酔薬を使用した強盗を働いていたのだ〉(同)
広島を逃亡先に選んだ理由は、原爆で町が焼失しているため、新しい戸籍を容易に作れると考えたから。家を建てたカネは、強盗で得たものだった可能性は高いという。近藤はこの放火と余罪で15年ほど服役した後、名古屋に戻って看護師の女性と結婚した。
〈材木屋をしてみたり、いろいろ事業に手を出したが、ギャンブル好きがたたって行き詰まる。この間、細君の友人の看護婦に手を出して離婚。その看護婦と再婚。競輪のノミ行為をしたり、盗品の故買をしたり、小さな犯罪と借金を重ねていったわけである〉
岐阜刑務所で懲役13年
そしてA医科大学事件に至るが、逮捕当時の愛人によれば“まさかの話”だったという。
〈「久米光治と名乗り、ボイラーの機械屋で、神戸の会社にいたが、5000万円の退職金をもらって辞めたといってました。仲間との釣りに使うと、茅ヶ崎に2700万円のマンションを買ったこともあります。その後、1700万円で手放しました。去年の10月初めに赤坂のマンションを契約(敷金35万円、家賃9万4000円、2DK)し、指輪も着物も買ってくれ、一応、神社にもお参りしたので、ゆくゆくは……と信用したんです」〉(同)
一方で近藤は、一審判決の懲役13年をおとなしく受け入れ、岐阜刑務所で服役生活に入った。
〈近藤は担当弁護士に対し、「刑務所で死ぬことになるかもしれんが、ここなら衛生的だし、医者も診てくれるので……」と語り、さらに「ここではなにも不自由ない」と満足そうな様子だったという〉(「週刊新潮」1980年10月2日号)
刑務所で静かに人生を終える――だが、そんな日はまだまだ先となる。出所から数年後、近藤は日本を震撼させた凶悪事件で再び“表舞台”に現れた。1994(平成6)年9月に発生した「住友銀行支店長射殺事件」である。
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日本を震撼させた未解決の企業テロ事件、近藤はなぜか犯行に使われた拳銃を所持していた――。第2回【94年「銀行支店長射殺事件」で“拳銃を持った老人”はなぜ出頭したのか 実行犯を明かさぬまま逝った男の裏街道人生】では、再び逮捕された近藤の晩年を追う。
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