70年代「約3億円詐欺」、90年代「銀行支店長射殺」…戦後日本を犯罪で渡り歩いた男の裏街道人生

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東京で電撃逮捕された「原田」

 と、「週刊新潮」は報じたが、実は事件発生から1年3カ月後の記事である。特徴的な犯行の手口、ただちに作成された精巧な似顔絵といった手がかりは豊富ながら、愛知県警の捜査に進展がみられない――というのがその趣旨だった。

〈理事長が若い男に監禁されている間に、「原田」は法人部長を連れて、東海銀行の支店でまんまと2億5000万円(他行でさらに3000万円)の引き出しに成功。そして法人部長を再び601号室に監禁し、「原田」は午後7時ごろ名古屋駅から消えた。若い男も「次のコマンドが来る」といいのこして、やはり午後10時半に名古屋駅から消えたのである〉(「週刊新潮」1979年1月11日号より)

 捜査は難航していると見られたが、実際は1人の男が捜査線上に浮かんでいた。この記事から1カ月半ほど過ぎた頃、東京で電撃逮捕された「原田」こと近藤忠雄である。戦後の混乱期を犯罪と共に生き、逮捕時57歳にして前科7犯。昭和38年にも同様の手口で歯科医のカネを奪ったが、嫌疑不十分で釈放されていた。

近藤という男

 近藤の逮捕を報じた記事には、その“犯罪人生”の前半が記されている。

〈近藤忠雄は名古屋市出身。高等小学校を卒業後、三菱重工に勤めたが、応召して満州に渡った。昭和18(1943)年、軍法会議において窃盗の罪で懲役8カ月。これが、彼の最初の犯罪である〉(「週刊新潮」1979年3月22日号)

 昭和22(1947)年、近藤は広島に現れた。当時を知る女Mさん(58=取材時)の証言。

〈「当時、主人は広島市役所の職員で、中央出張所に勤めておりました。ある日、復員姿でリュックを背負った若い男が、そこへやって来たんです。“満州から引き揚げて来たんだが、今晩、寝るところもない”という話で、主人は人がいいもんですぐ同情しましてね。その男を家へ連れて来てしまいました。人ざわりのやわらかな優男でした」〉(同)

 その優男いわく「満州育ちで、実家は自家用飛行機まで持っていたが、敗戦で戸籍までなくしてしまい就職にも困る」。そこでMさんの夫は近藤を養子にして、戸籍を作ってやった。が、その後の近藤が“堅実な暮らし”を選ぶはずはない。

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