「麻紀さん、ちょっとヒカルをあずかってくれる?」 カルーセル麻紀を驚かせた「藤圭子」からの頼みごと 「すごい才能があるのよ。楽しみなの」とも
「ちょっと今日、麻雀だから、ヒカルをあずかってくれる?」
先に前掲書から。
〈藤圭子の本名は阿部純子。私は「純ちゃん」とか「純べえ」って呼んでました。40年以上前です…初めて会ったときの純べえは、おかっぱで色白。目がパッチリしていて、日本人形みたいでした。いつもジーパンにTシャツというラフな恰好で…〉
〈純べえは気が強くて、余計なことは話しません。前川さんとの結婚話、貧しかった北海道時代など、周囲にプライベートを口にすることは、ほとんどありませんでした。たとえば、テレビの歌番組になんか出ても、出番前は一人ポツンと座っていました。自分で見えないバリアを張っているかのようでした〉
藤圭子といったら、多くの人がイメージする姿そのまま。やはり普段からそうだったのだ。
カルーセルが思い出してくれた貴重なエピソードは、娘の宇多田をあずかったことがあるという記憶。連載では真っ先にその時のことを語ってくれた。
2人は当時、同じ芸能プロに所属していたが、交流が途絶え、その後、テレビの歌番組で再会した。その時にヒカルを連れてきていた藤にこう言われたという。
〈「麻紀さん、ちょっと今日、麻雀だから、ヒカルをあずかってくれる?」って言われたの。私が赤ちゃんを!? って思ったけど、「終わったら、迎えに行くからお願い」って言われ、仕方がないから、引き受けたわよ〉
ヒカルが2、3歳。子育ての経験がないカルーセルは姉と子守りをした。
そんな関係だから、藤はカルーセルには胸襟を開いていた。藤と母・澄子との確執は知られているが、こんな風に言っていた。
〈「目が悪くって大変なのよ」って言ってました。「新宿の女」を出した時はお母さんの手を引いて、ギター片手に新宿の街を流して歩いたんだから〉
ヒットを連発はしたものの、喉の手術をし、その後、引退宣言したが、その原因についても語っている。当時ついていた評判の悪いマネージャーが引き起こしたダブルブッキング騒動だというのだ。「あの女だけは許さない!」とカルーセルが怒りをあらわにしたという。
「才能があるの!」
しかし、救われた気がしたのは娘・ヒカルとのエピソード。90年代に藤は宇多田照實とヒカルと家族ユニット「U3」を結成。96年には「藤圭子 with Cubic U」として「冷たい月~泣かないで~」を発表し、精力的にプロモーション活動を行った。
その時、一緒にいたカルーセルは、藤にこう言われたという。
〈いきなり純べえが「麻紀さん、このバックコーラスの声、ヒカルなのよ。麻紀さんにあずけていた、あのヒカルなの。すごい才能があるのよ。楽しみなの」って、とってもうれしそうに言っていた…ヒカルが13歳ぐらいの時よ〉
鮮烈なデビューシングルとなった「Automatic」の発売はヒカルが15歳の時。娘の才能を真っ先に見抜いていたのは母だったということか。
藤圭子にとっての一生は母・澄子、自身、ヒカルの女たちの物語だった。




