日本はいつの間にスノボ大国に? メダルラッシュの理由とは… 活路を開いたのはお騒がせな「あの選手」

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 ミラノ・コルティナ冬季五輪で目を見張るのが、スノーボード勢の躍進ぶりだ。北京五輪の金メダリスト・平野歩夢(27)こそケガの影響ゆえかメダルを逃したものの、新世代の選手たちがメダルラッシュを成し遂げている。いつの間に、どうしてこれほど強くなった?

 スノーボード勢が獲得した金メダルは4個。女子ビッグエアの村瀬心椛(ここも・21)、男子ビッグエアの木村葵来(きら・21)、男子ハーフパイプの戸塚優斗(24)、そして女子スロープスタイルの深田茉莉(19)である。銀も2個、銅も3個、入賞者も7人だから、まさにスノボが“主役”と言っても過言ではない。

 スノーボード解説者の田中幸(さち)氏が言う。

「年々、競技のレベルが上がる中、難度の高い技はみんなできてしまいます。そこで評価を分けるのは完成度。今大会の日本人選手は大技を見せるだけでなく、技と技のつなぎをしっかり滑る、着地をしっかり決めるなど、細部へのこだわりが光っていました」

突破口を開いた國母和宏

 いつの間にか世界に冠たるスノボ大国となっていた日本。ここに至るまでには知られざる物語があった。

「もともと完全に欧米の文化だったスノボ界で、最初に突破口を開いたのは、なんといってもハーフパイプの國母和宏(37)です」

 そう語るのは、スノーボードジャーナリストの野上大介氏である。

 スノボが五輪競技になったのは1998年、長野五輪でのこと。しかし、

「当時、日本人選手は予選通過すらできないような状況でした。國母選手は2003年、最高峰の選手が出場できる〈バートンUSオープン〉で2位になったのを皮切りに、数々の大会で入賞。日本人として唯一人、世界の舞台で大活躍していきました」(同)

 國母選手といえばバンクーバー五輪(10年)での、ドレッドヘアに腰パンという強烈ないでたちをご記憶の向きも多かろう。記者会見での“反省してまーす”といった言動も取り沙汰された。

「“腰パン騒動”でバッシングされ、バンクーバーでは実力を出し切れず8位に終わってしまいました。が、その年から2年続けてバートンUSオープンを制覇するなど、実力は世界的にもトップだったのです」(同)

 國母選手は単に優れたプレイヤーだっただけではなく、意外なところで後世へ多大なる影響を及ぼした。

「彼が目を付けたのが、当時小学生だった平野歩夢でした。國母選手が周囲に売り込んだおかげで、平野選手はXゲームに招待されたのです」(同)

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