ベテラン納棺師も号泣――20歳で旅立った女性が自作した“会葬礼状”に残された言葉

国内 社会

  • ブックマーク

 病気のせいで体に麻痺があり、彼女は車椅子の生活を送っていた。

 それなのに、自分の具合が悪いときでさえ、「つかれてなーい?」「大丈夫?」と家族に声をかけてくれる優しい子だった――。

 一人でさみしくないか? 怖くはないか? 若くして旅立った故人を悔やむひとたちに、彼女が残した思いもよらないメッセージ。

 数々の現場を経験した納棺師、大森あきこさんの涙を誘わずにはいなかったお別れの物語。その一部始終を、『いつもの場所に今もあなたがいるようで』から紹介します。

 ***

 気温は低いけれど、お日様の温もりが心地よく感じられる冬の日の午前。

 私は砂利の敷地に車を停め、坂の上に佇むご自宅を見上げました。庭では50代ほどの女性が洗濯物を干しています。こちらに気づいた彼女は、軽くお辞儀をして、「どうぞ」とジェスチャーで迎えてくれました。彼女の穏やかな空気にホッとします。

 納棺式や葬儀はどこか非日常的な空間を作り出します。しかしご自宅での施行では、いつもと違う非日常な空間の隣に日常が息づいています。いつも生活していたその場所で、最後のお別れをすることは、現代では少しずつ難しくなってきているように思えます。私はご自宅での納棺式が好きです。遺族の皆さんがリラックスしているからこそ、特別な瞬間が自然と紡がれていくのかもしれません。

 肩に荷物をさげ、坂を上る途中、日陰の道には先週降った雪がところどころまだ残っていました。その小さな塊になった雪を横目に、今日の施行が亡くなった方とご遺族にとって穏やかな時間になりますようにと願いながら上っていきます。

“人生5周目”のゆりちゃん

 今日お別れをするのは、20歳になったばかりの「ゆりさん」という女性です。病気のせいで彼女の体には麻痺があり、車椅子の生活をなさっていたそうです。事前に葬儀担当者から、着せたい着物がおありとのことだが着せ替えは可能か、と問い合わせがありました。「お体の様子を見てお着せ替えを考えたい」と伝え、現場へ向かうこととなりました。

 ご自宅に入り、家族に挨拶を済ませた後、ゆりさんの寝ている和室に入ると、壁や枕元にたくさんの絵が飾られていました。どの絵も白いところがないほど、多くの色が使われていて見るだけで笑みが溢れるような絵です。枕元の絵の上に開いて置かれた、1冊のノートに目が留まりました。そこに大きく書かれたフレーズが目に飛び込んできます。

「私がいくのはとても遠いけど、とても近い場所。」

 一つ一つ丁寧に書かれた文字にぐっと引き寄せられ、目が離せなくなるようなメッセージでした。彼女がこの言葉に込めた想いにひっぱられないようにともがきながら、ノートの隣にある着物に気づき、自分の仕事はこっちだと意識を戻します。

 お着せ替えは故人に負担なくできそうです。

 着物はきれいな深緑に白い花が描かれた振袖でした。帯や帯締めも、今風のかわいらしい誂えで、普段の納棺式の着せ替えではなかなか見ないようなものでした。

 立ち会われるのはお父さんと、先ほどお庭でお洗濯物を干していたお母さん、ゆりさんの小学生の妹さん、そして同居されているおばあちゃんです。すでに皆さんがゆりさんの近くに寄り添い、話をしていました。

 着せたい着物はこちらですかと聞くと、お母さんが、

「去年成人式だったから、おばあちゃんが用意してくれたのよ」

 と教えてくれました。

「可愛く着せてやってね」と椅子に腰かけたおばあちゃんが、手を合わせて拝むように私に話しかけます。

 亡くなった方への処置を終えると、皆さんと一緒に着せ替えをすることにしました。

 掛け布の下の体に着物を着せていく中で、話は自然にゆりさんのことになります。ゆりさんは小さい頃から大人びていて、まるで周りの人にいろんなことを教える役割を持って生まれてきたような子だった、とお母さんが語ります。

「人生5周目の女だから」と家族が笑います。不思議に思い、人生5周目って何ですかと聞くと、「まるでたくさんの人生経験を積んだ人のような言動のゆりちゃんだから、人生5周目の女ってあだ名をつけた」のだそうです。

 自分の具合が悪いときでさえ、「つかれてなーい?」「大丈夫?」とよく家族に声をかけてくれるような優しい子。そんなゆりさんに、

「ゆりちゃんはなんでそんなに頑張れるの?」

 と聞くと、

「だって人生5周目だから」

 と笑って自分でも答えていたそうです。

「ゆりさんのお手伝いが出来て幸せです」――納棺師の涙

 着せ替えを終えたゆりさんを棺の中へ移し、最後に帯締めを付けた帯をお体の上に載せました。おばあちゃんはかわいい、かわいいと繋いだゆりさんの手を何度もさすっています。

 今まで明るく話していた他の家族も、お別れの時間が近づいていることを感じ、涙を流しています。

 最後に、ご家族の皆さんでゆりさんが描いた絵と枕元にあったノートも開いたまま棺へ入れました。ページには私が目にしたあの言葉が書かれています。

「私がいくのはとても遠いけど、とても近い場所。」

 私はずっと気になっていたその言葉について聞いてみました。

 あれはゆりさんの言葉ですか? と聞くと少し間があいて、「体調がすぐれなくなってボーッとする時間が増えてきた時期に、急に目をぱっちり開けて、パソコンを持ってきてくれ、早く早くって急かすんです。それで書いたのがこの詩なの――」。

 お母さんがページを1枚めくると、詩が印刷された紙が貼ってあります。

  私がいなくなっても、ずっと泣いていてはダメだよ

  私はしばらくみんなと過ごした後は

  体を置いて高く高く飛んでくよ

  そこはとても遠くてとても近い場所

 ゆりさんってすごい人。そう言葉にして伝えたかったのに声が出せないほど、涙を抑えることで精一杯でした。

「この言葉がこれからずっと、私たちを支えてくれる」

 そう言うとお母さんは私にハガキをくれました。葬儀の際に来てくれた人に渡す会葬礼状でした。

 そこには同じ詩が印刷されています。

「ゆりさんのお手伝いが出来て幸せです」

 そう言うと、がまんしていた涙がボロボロこぼれてきます。申し訳なく思いながら顔を上げると遺族みんなが泣いています。

 皆でティッシュの箱を回しながら、涙を拭いて鼻をかむと誰ともなく目が合い、自然に笑みが浮かびました。

 そのあと、ゆりさんをもう一度見守ってから、棺の蓋をお閉じしました。

 ゆりさんの会葬礼状は今でも私の宝物です。

 大切な人を失ったとき、経験したことのない「死」が苦しかったのでは? ひとりでさみしがっているのでは? と不安に思うことがあります。

 だけど私たちが思うほど、「死」は怖いものではないのかもしれない。重い体から飛び出してどこまでも高く飛んでいきたいと思えるそんな世界。人生5周目のゆりさんが言うのだからきっとそうに違いありません。

大森あきこ(オオモリ・アキコ)
1970年生まれ。38歳の時に営業職から納棺師に転職。延べ4000人以上の亡くなった方のお見送りのお手伝いをする。納棺師の育成やエンゼルケア講師としても活動。2025年一般社団法人ツナギノ森を設立。遺族のサポートをする医療・介護・葬儀の業界の方や一般の方向けのセミナーやワークショップなどを開催中。著書に『最後に「ありがとう」と言えたなら』(新潮社)

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。