愛子さま“鴨場デビュー”の深い意味 天皇陛下が「プロポーズ」の舞台に選ばれたのも…「天皇家」と「鴨」の知られざる縁とは

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 天皇皇后両陛下の長女、敬宮愛子さまは昨年12月17日、埼玉県越谷市の埼玉鴨場に各国の駐日大使夫妻ら外交使節団を招き、日本古来の鴨猟体験の案内役を務め、鴨料理で温かくもてなされた。国際親善を目的とした鴨場接待は、皇族方が天皇陛下に代わって行うもので、埼玉鴨場と千葉県市川市の新浜鴨場で毎冬、11月月15日から2月15日までの間に8回程度行われている。昨年はほかに三笠宮家の寛仁さま(2012年死去)の長女、彬子さまが11月26日に新浜鴨場で、また同妃、信子さまは12月3日に埼玉鴨場で、そして秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまが同10日に新浜鴨場で、それぞれ大使らをもてなされている。日本の古式鴨猟と鴨料理が紡ぐ皇室外交の場が、この2つの鴨場だ。キーとなる鴨と天皇家とのゆかりについて解説する。

全国にわずか6カ所

 宮内庁が管理する両鴨場では、猟銃などは一切使用せず、傷つけないようにしながら野生の鴨を捕獲する日本古来の狩猟の技法が伝承されており、国の文化的伝統技術として保存されている。その技法は、池に集まった渡り鳥の鴨を、飼い慣らしてあるアヒルを使って誘導し、行き止まりの溝地に追い込んだ上で飛び立つ瞬間を狙い、大きな虫捕り網のような「叉手網(さであみ)」で捕らえる。池に集まるのは真鴨や小鴨、尾長鴨、嘴広(はしびろ)鴨など、十数種に及んでいる。

 実は料理でふるまわれるのは、飼育された鴨の肉。捕獲された鴨は、生態系の保護と野生動物の調査研究のため、品種や性別を記録し、脚に標識をつけて再び野に放っている。いわゆるキャッチ・アンド・リリースだ。

 このように皇室が外交使節団を鴨猟に招くようになったのは、明治天皇が鴨場の設置を命じた、東京都中央区の浜離宮(現・浜離宮恩賜庭園。当時は宮内省が所管)で行われた鴨猟が最初とみられている。

 鴨場と冠した鴨の猟場で現存するのは、全国でも新浜鴨場と埼玉鴨場のほか、同恩賜庭園にある庚申堂鴨場と新銭座鴨場のみ。香川県高松市の栗林公園と、愛媛県宇和島市の天赦園には鴨場の遺構が残っているが、これを含めてもわずか6カ所だ。しかも、現在でも実際に鴨猟が行われているのは宮内庁が管理する2カ所だけとなっている。

 栗林公園に残る「鴨引き堀」は宮内庁の鴨場にもある溝地と同様のもので、公園内にある群鴨池の東端から南に延びている遺構が発掘されている。同公園は南庭と北庭に分かれ、南庭は旧高松藩主の松平頼重らが修築を重ねて完成させた別邸を囲む、日本有数の池泉回遊式の庭園だ。北庭は江戸時代には鴨場だったものが、明治時代に入ってから西洋風庭園に改修されたもの。鴨場の池は既にすっかり埋め立てられている。

 かつて、こうした鴨場では、訓練された鷹や隼を鷹匠が放って鴨を捕獲する鷹狩も行われていた。江戸時代は叉手網を使用するより、むしろ鷹狩の方が一般的だった。徳川将軍家や大名家に代々伝わっていた伝統的な鴨場の文化は明治天皇も気に入り、明治維新後は天皇家で保護することになったのだった。

 皇室と鴨の歴史を紐解くと、必ず行きつく場所がある。今の兵庫県加西市だ。加西市には鴨谷(かもだに)と二ケ坂という地名が残るが、前者は古墳時代の第15代応神天皇が狩猟に出た際、従者に「矢を射よ」と命じたところ、2羽の鴨に命中し、鴨が落ちた場所。落ちた鴨を調理し、煮物にした場所は後に「煮坂」と呼ばれるようになり、後者の「二ケ坂」に転じたと考えられている。

 このエピソードは奈良時代の『播磨国風土記』に記述がある。記録として残る最初の鴨料理はこの煮物で、煮込んだ「羹(あつもの)」と呼ばれる熱い汁が鴨汁の元祖というのが定説だ。

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