「ファイアー、ヘルプミー!」 都心の超一等地「ホテル・ニュージャパン」を襲った業火…消防への通報まで「空白の24分間」が生じた理由

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24分間の“空白”

 ホテル・ニュージャパン(以下、ニュージャパン)は東京都心の赤坂の一角、国会議事堂の西方470メートル、赤坂見附交差点から南方に330メートルという好立地にあった。周囲には日枝神社、メキシコ大使館、都立日比谷高校、衆参両院の議長公邸などが立ち並ぶ、都心の大繁華街の一角でもあった。

 地下2階、地上10階建て(軒高31メートル)の同ホテルは、昭和35年3月の竣工と共にオープンした。同54年に横井英樹社長に名義変更されたが、第1審判決(昭和62年5月20日)によると、

〈設立当初は年毎に業績を伸ばしていったが、昭和39年の東京オリンピックの際、都内に大規模なホテルが次々と開業したため、業績が次第に悪化し、横井がこれを引き継ぐ頃には約30億円の累積赤字があり(略)横井の社長就任後はワンマン経営の様相を呈した。嫌気のさした従業員が次々と退職するなどして、横井就任時にパートを含め約410人いた従業員は、本件火災時には180名足らずにまで減少し(略)従業員らの仕事に対する意欲も、仕事量の急激な増加、給料の遅配等からくる将来への不安などのため、著しく減退している状態であった〉

 火災当日の昭和57年2月8日に時計の針を戻す。

 午前1時40分ごろ――。5日から938号室に宿泊していた英国人ビジネスマン(24)が酩酊して帰館した。英国のおもちゃメーカーに勤務する男性は商用のため来日していた。この日の宿泊者は352名。宿直の従業員は27名だった。

 3時15分から17分――。仮眠を取りに9階に向かったフロント係員Aが938号室のドア上部付近から、薄い煙が層をなしているのを発見した。Aはエレベーターで1階に降り、フロントにいた3人の係員B、C、Dに「938号室から煙が出ている」と告げた。係員CとDが再び9階へ、白煙の出ているドアをノックすると、中から叫び声がした。

「ファイアー、ヘルプミー!」

 Cは9階ホールの消火器を取りに行き、Dはマスターキーでドアを開けた。同じころ、Bは警備室に電話。「9階で火が出ているようなので見てくるように」と、警備員に指示を出す。

 しかし、自動火災報知機のベルは鳴っていない。警備員は空騒ぎになった場合の叱責を恐れ、ナイトマネジャーに連絡することもなく、その後の連絡を漫然と待っていた。同じころ、Dは9階の部屋に火事ぶれを行ったが、やはり大事に至らなかったら叱責されることを恐れ、軽くノックをして声をかけただけだった。

 3時18分――。Bからの連絡を受けた警備員がようやく9階に向かった。938号室付近に足を踏み入れると英国人客が倒れている。既に同所にいたAから「火事だ」と言われたが、警備室に電話を入れただけで防火扉の閉鎖や火事ぶれを行うことなく、同27分ごろ、警備員室に戻った。

 3時19分~21分ごろ――。938号室の火は、消火器を用いたCにより、いったんは収まった……かのように見えただけで、再び炎が燃え上がった。Cは別の消火器を使おうとしたが場所が分からない。Aは9階の屋内消火栓の操作を試みるが、うまくいかない。8階にあった消火器を持ってCが9階に戻ると、廊下の天井は灰色の煙が這うようにして押し寄せてくる様子だった。従業員らは慌ててエレベーターで1階に下りる。

 3時22分~31分ごろ――。仮眠をとっていた警備員たちが事態に気づき、屋外に出て938号室の窓から出火していることを視認、「誰か、119番通報をするように」との指示も出たが実行したものはいなかった。フロント係でも119番通報と、9階の各客室に電話をするように指示された係員がいたが、手が震えて電話ができなかった。別の係員は防災放送をしようと思い立ち、防災センターへ行って放送盤を操作しようとしたが、使用方法が分からなかった。

 3時34分ごろ――。フロント係員は放送盤の使用説明書を探し、別のフロント係員と共に放送盤を操作しようと試みた。しかし、火災により配線がすでに焼損しており、防災放送は行えなかった。

 そして……冒頭に記した通り、3時39分10秒、近くを通りかかった通行人により、東京消防庁へ第一報がもたらされた。火災の覚知から約24分が経過していたのである。

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