「愛人」に命救われ94歳で大往生、23年後は「殺人犯」の元女子高生…82年「ホテルニュージャパン」火災、被災者たちのその後
毛布から血が滴った
4階に下からハシゴ車の消防隊員が上がってきた。
「隊員に“大丈夫なら手をあげろ”と言われました。手をあげると、消防隊員は“今から助けに行く”と、こちらに飛び込んできました。そして、“言うことを聞け。壁伝いに進んで、2階の屋根に飛び下りろ”と命じられました」
2人は意を決して、2階の屋根に飛び下りた。
「助かった、とホッとしていると、別の消防隊員がやってきて“負傷者を降ろすので手伝え”と言うのです。2階の屋根には遺体が10体ほど横たわっていました。私は、“これは負傷者じゃない。死んでいます”と言ったのですが、隊員は“それは医者の言うことだ。とにかく降ろせ”です。友人と2人で遺体を毛布に包んで、ハシゴ車に移しました。遺体を持ち上げると、ちょうどドリップしたコーヒー液のように毛布から血がタラーっと滴りました。作業を終えると、私たちは地上に降ろされました」
現在、Dさんは76歳。
「友人は3年前にガンで亡くなりました。恐ろしい体験をした仲間がいなくなって寂しい限りです」
愛人に救われ続けた強運男性
犠牲者の多く出た9階の部屋にチェックインしたものの、新宿のバーで朝まで飲み明かし、命拾いをしたという人もいる。2006年12月に亡くなった中央競馬会の調教師・西塚十勝さん(当時69)である。
「バーで飲んでいて助かったということになっていますが、実は、新宿の愛人宅にいて助かったというのが本当です」
とは、親類の中地義次さん。西塚さんの強運ぶりは、ニュージャパン火災だけではない。これまで幾度となく死に神から逃れてきた。1954年9月26日、台風のために転覆し、1155人の犠牲者を出した青函連絡船の洞爺丸事故では、西塚さんは乗船切符を持ちながら、乗り遅れたために助かっている。
「函館近郊の湯の川温泉で宴会をしていて助かったといいますが、本当は湯の川温泉にも愛人がいて、そこに顔を出して乗り損なったのです」
こう言うのは、生前の西塚さんと親しかった「樋渡牧場」(北海道新冠町)のオーナー・樋渡信義さん。1971年7月3日、函館空港近くの山地に墜落し、68人の犠牲者が出た東亜国内航空のばんだい号事故の際も、直前にキャンセルして助かっているのだという。
「あの時も、実は札幌の愛人宅にいて、“食事をしていって”と言われ、断わりきれなく、予約をキャンセルしたんですよ」
大変な艶福家だが、何度も命拾いをした西塚さんは94歳の天寿を全うした。
殺人で2年間逃亡した元女子高生
その一方、命拾いをしたものの、転落人生を歩んだケースもある。大学受験のために宿泊していた女子高生(当時)のEである。
〈Eさんは寝間着の上にガウンを羽織ったままはだして廊下に飛び出し、悲鳴と怒号の中を非常階段を伝って一気に駆け降りた〉(中國新聞1982年2月9日付朝刊)
地元紙は彼女の火災の体験を紹介したが、その23年後、件の女子高生は、
〈知人に犯行告白 41歳女指名手配 西五反田の女性刺殺〉(東京新聞2005年5月26日付夕刊)
と、殺人容疑者に成り果ててしまうのである。Eは東京の大学に進んだものの、銀座のホステスに身を転じ、その後、新宿2丁目でゲイバーを開業する。そして同性愛関係にあった同居女性を刺殺。2年間の逃亡の末、2007年3月24日に逮捕され、目下服役中である。
火災現場に突入し、火傷を負った特別救助隊長の高野甲子雄さんは、現在63歳。すでに退官し、ボランティア団体を設立して、東日本大震災の救援活動を行っているという。
あの日を生き抜いた人々の、それぞれの人生模様である。
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私の体全体に火が襲いかかった――。第1回【「炎が体の上を吹き抜けた」「頭髪は全て焼けた」…82年「ホテルニュージャパン火災」に突入、救助隊員が遭遇した壮絶な現場】では、現場に急行した当時の特別救助隊長が壮絶な現場の様子を語っている。
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