「愛人」に命救われ94歳で大往生、23年後は「殺人犯」の元女子高生…82年「ホテルニュージャパン」火災、被災者たちのその後
82年2月、9階から火の手が上がった
第1回【「炎が体の上を吹き抜けた」「頭髪は全て焼けた」…82年「ホテルニュージャパン火災」に突入、救助隊員が遭遇した壮絶な現場】を読む
社員や元社員が顧客から総額約31億円を詐取という「プルデンシャル生命保険」の事件は、日本社会に衝撃を与えた。と、同時に、その本社ビルであるプルデンシャルタワーの場所に驚いた……という声も少なくない。
1936年の2・26事件で反乱軍が立て籠もったのは、この地にあった料亭「幸楽」。1963年12月8日には、地下のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で力道山が暴力団員に刺され、後に死亡するという事件も起きた。
そして1982年2月8日未明には、「ホテルニュージャパン」の9階から火の手が上がった。日本のホテル火災事故史に残る大惨事から30年後の2012年、生存者のその後を追った「週刊新潮」のバックナンバーで緊迫の現場を振り返る。
(全2回の第2回:以下、「週刊新潮」2012年2月9日号「死者33人『ホテルニュージャパン』火災から30年 『私はこうして死から逃れた!』」を再編集しました。文中の肩書き、年齢等は掲載当時のものです)
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【写真】蝶ネクタイ姿でスッと背筋を伸ばし…火災現場に現れた「横井英樹氏」
外を覗くと上から女性が落ちてきた
炎と煙が渦巻く9、10階はまさに阿鼻叫喚だったが、その下の階でも地獄のような光景を目の当たりにした宿泊客がいる。4階に泊まっていた広島県のDさん(当時45)ある。
「あの頃は、新宿にある会社との取引で頻繁に東京に来ていました。ホテルに近い赤坂見附駅は、どこに行くにも地の利が良かったので、あのホテルはよく利用していました」
Dさんは、その日、友人(当時46)と2人でツインの部屋に泊まっていた。大きな物音で目が覚めたのは午前5時頃だった。
「ドンドンと大きな音がして、目が覚めた。外を見ると警察や消防の車が集まっている。ふと窓から横を見ると、隣の部屋から赤い炎が出ている。あ、火事だと慌てて部屋を飛び出しましたが、友人を連れていかないといけないと思い、部屋に戻り、寝ていた彼を起こしました。私も相当に気が動転していたのでしょう。ズボンを穿こうとしましたが、穿けない。後ろ前が反対だったんです。冷静な判断ができませんでした。
とりあえずズボンを穿き、コートを引っかけて部屋を逃げ出しました。友人はワイシャツを着ただけの格好でしたね。廊下中に焦げ臭い煙が充満していて目が痛かった。ホテル内部は放水の圧力で至る所で窓ガラスが割れていました。外を覗くと、突然、上から大きな女性が落ちてきて、2階の屋根に体を打ちつけられました。ピクピクと痙攣をして、それっきり動かなくなりました」
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