ヤクルト・石川雅規、46歳のシーズンに突入!「アラフィフ」で活躍した歴史に残る“左腕列伝”

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 ヤクルトの25年目左腕・石川雅規が今季46歳のシーズンを迎える。打者は45歳までに引退するイメージが強いのに対し、投手は“45歳の壁”を過ぎても現役を続けた息の長いプレーヤーが目につく。そして、長持ちする投手は左腕という点でも共通している。【久保田龍雄/ライター】

32年間の現役生活に別れ

 NPB史上初の50歳の支配下登録選手になったのが、中日のレジェンド左腕・山本昌だ。

 2014年、プロ31年目の山本は、9月5日の阪神戦で5回を無失点に抑え、49歳0ヵ月で勝利投手に。阪急・浜崎真二の史上最年長試合出場記録(48歳10ヵ月)とNPB史上最年長勝利投手記録(48歳4ヵ月)を64年ぶりに塗り替えた。

 翌15年も右膝の故障で出遅れたものの、6月以降ウエスタン7試合に調整登板し、2日後に50歳の誕生日を迎える8月9日のヤクルト戦で1軍登板を果たした。

 もし、勝利投手になれば、ロッキーズ時代の“史上最高左腕”ジェイミー・モイヤーが12年に記録した49歳180日の世界最年長勝利を更新するところだった。

 ところが、投球中に左手人差し指を体に当てて突き指するアクシデントにより、2回途中でわずか22球で降板する羽目に……。「チームに迷惑かけて、何しに来たんだという感じですね」と悔しがった。

 その後、患部の損傷が靭帯にも及んでいたことが判明し、シーズン中の復帰が絶望的になると、若返りが進むチームの中で「僕が残ったらダメだ」と引退を決意した。

 そして、10月7日の広島戦に先発し、NPB史上初の50歳登板が実現、先頭打者・丸佳浩を自らの代名詞でもあるスクリューボールで二ゴロに打ち取り、32年間の現役生活に別れを告げた。

48歳同士の計96歳の先発対決

 前述の山本に最年長記録を塗り替えられた浜崎真二も左腕である。

 156センチ(150センチから160センチまで諸説あり)、50キロと、石川雅規よりひと回り以上も小柄ながら、正確無比なコントロールと打者の心理を読む巧みな投球術で、強打者を手玉に取った。

 神戸商、慶大、満洲倶楽部のエースとして長く活躍し、満洲倶楽部時代の1941年の明治神宮国民体育大会では、監督兼投手の“41歳のエース”は、準決勝、決勝と2試合連続完封を記録し、全国制覇を達成した。

 さらに終戦後の47年、選手兼総監督(翌48年から選手兼監督)としてNPB史上最年長の45歳で阪急に入団すると、50年まで通算30試合に登板し、5勝5敗、防御率4.03を記録した。

 48年7月21日の巨人戦では、5対3の5回からリリーフ、7回の白石敏男のソロによる1失点だけに抑え、1点リードの9回1死一塁、青田昇のあわや逆転サヨナラ本塁打という大飛球をレフト・山田伝がジャンプ一番キャッチし、併殺で逃げ切り、47歳7ヵ月で勝利投手になった。同年は8月10日の南海戦、同22日の大阪戦でも勝ち投手になり、シーズン自己最多の3勝を挙げた。

 2リーグ制が始まった50年は、5月7日の東急戦で自らの最年長勝利記録を48歳4ヵ月に更新し、48歳10ヵ月で先発した11月5日の毎日戦が現役最終登板となった。

 なお、同年は毎日が2位・南海に15ゲーム差のぶっちぎり優勝でファンの興趣を削いだことから、浜崎は48歳1ヵ月の毎日・湯浅偵夫総監督と相談し、ファンサービスで48歳同士の計96歳の先発対決を行った。

 明大時代に109奪三振のシーズン記録をつくった右腕・湯浅総監督は、選手登録されていなかったものの、消化試合でもあり、今ほどルールにうるさくない大らかな時代とあって、最初で最後のNPBの試合に出場している。

 自著「48歳の青春」(ベースボールマガジン社)の中で、「プロ野球界で、この高年勝利投手の記録は、当分破られる心配はあるまいと思っておる」と記した浜崎だったが、64年後、山本に最年長登板記録ともども更新されることになる。

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