「ロッテ・野村克也」「ソフトバンク・松坂大輔」 特定の在籍球団の印象が薄すぎる有名選手

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 現役ドラフトで巨人に移籍した田中瑛斗が昨季36ホールドを記録し、プロ8年目で開花した。日本ハム時代はドラフト3位入団ながら、肘を痛めるなどして、1軍でほとんど活躍できず、印象が薄かった。そして、田中の例とは逆に、誰もが知っている有名選手なのに、特定の在籍球団の印象が薄かった選手も存在する。【久保田龍雄/ライター】

薄いソフトバンク時代

“平成の怪物”松坂大輔も、2015年から3年間在籍したソフトバンク時代に投げていたことを覚えているファンは、それほど多くないはずだ。それも道理。9年ぶりの日本球界復帰となったソフトバンクでは、松坂は毎年故障で離脱を繰り返し、1軍公式戦で投げたのは1試合1イニングだけだった。

 1年目の15年は、3月4日のオープン戦、阪神戦で実戦初登板したあと、インフルエンザで戦線離脱、練習再開後も右肩の違和感に悩まされ、夏に内視鏡手術を受けた結果、ウエスタン1試合2イニング、打者8人に投げただけでシーズンを終えた。

 翌16年は5月4日のウエスタン、オリックス戦で4回を2安打無失点に抑え、5回からリリーフした島袋洋奨も7回まで無失点と、甲子園で春夏連覇を達成した2投手の豪華リレーで7回をゼロ封という珍事がちょっとした話題になった。だが、1軍では10月2日のシーズン最終戦、楽天戦で西武時代のプレーオフ以来10年ぶりの1軍登板を果たすも、制球が定まらず、1回を3安打2四死球5失点という結果に終わった。
 
 そして、ソフトバンク最終年の17年は、3月25日のオープン戦、広島戦で7回を無安打、2四球、無失点と久しぶりに怪物らしいところを見せたが、直後、右肩の異変を訴え、開幕後は1試合も登板できないまま、在籍3年で登板1試合、1イニング、防御率18.00という不本意な成績で退団となった。

 翌18年は中日で6勝を挙げ、オールスター出場にカムバック賞と復活をアピールしただけに、余計にソフトバンク時代の印象が薄くなった感もある。

事実上の戦力外通告

“生涯一捕手”を座右の銘にした野村克也も、“ミスター・ホークス”と呼ばれた南海時代の印象が強過ぎるため、1978年に1年だけ在籍したロッテ時代を記憶しているファンは少ないはずだ。

 77年9月、後の沙知代夫人をめぐる公私混同問題で南海監督を解任された野村は、ロッテ・金田正一監督に誘われ、一兵卒として25年目の現役生活を迎えることになった。

 だが、金田監督の要請で若手にアドバイスすると、コーチに煙たがられ、言い出しっぺの金田監督からも「教えるのはやめてくれ」と言い渡されてしまう。

 さらにシーズン開幕後は、打率1割台とさっぱり打てず、4月15日の古巣・南海戦で4盗塁を許すなど、攻守ともに精彩を欠き、南海時代に自らの控えだった高橋博士に正捕手の座を奪われる悲哀も味わった。

 2軍落ちの声も聞かれ、危機感を抱いた野村は5月2日の近鉄戦、0対0の4回に鈴木啓示から移籍第1号となる弾丸ライナーの左越え決勝2ランを放ち、「(ロッテに拾ってもらった)恩返しの一部でもできてうれしい」と安堵の表情を見せた。

 だが、6月14日、巨人・王貞治に通算1947打点、張本勲に通算2827安打の歴代トップの記録をダブルで更新され、「ワシはユニホームを着てはいるが、ワシの記録はもう過去のものや」のボヤキも出た。

 そんな逆境にあって、オールスターファン投票では、“生涯一捕手”に共感するファンの支持を得て、パ・リーグ捕手部門で堂々のトップに立ち、本人も21回目の球宴出場を楽しみに、打撃練習に励んでいた。

 ところが、投票締め切り直前、日本ハムに大量の組織票が流れたことから、加藤俊夫に逆転され、監督推薦でも落選。「そうか、しゃあないな」と肩を落とす羽目になった。

 その後、ロッテは金田監督が成績不振の責任を取って辞任し、山内一弘新監督が就任したが、「野村君は野球界に大きな貢献を果たしてきた。今後はより大きな視野に立って新しい道に進んでほしい」と事実上の戦力外通告を行ったことから、一度は「引退」と報じられた。

 だが、12月1日に新生球団・西武への移籍が決まり、80年に通算3000試合出場を達成するなど、45歳まで現役を続けた。

 こうして振り返ってみると、ロッテ時代はいろいろなことがあり、控え選手の気持ちを味わったこともヤクルト監督時代に生かされるなど、貴重な1年間だったのだが、“ロッテ・野村”の印象は、現役時代の在籍3球団の中で最も薄い。

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