「守ってやれなかった後悔と共に、その光景が…」 福田時雄さんが生前語っていた岡田有希子さんへの思い【追悼】

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は1月9日に亡くなった福田時雄さんを取り上げる。

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タレントは家族

 森田健作、桜田淳子、松田聖子、酒井法子ら、サンミュージックプロダクションが育てたスターは枚挙にいとまがない。1968年に同社を創業した中心的メンバーが相澤秀禎さんと福田時雄さんだ。

 草創期を知る音楽評論家の反畑誠一さんは言う。

「取材にあれほど正直に応じてくれる人たちはいなかった。二人三脚の名コンビ、同世代で温厚な性格も似ていた。芸能界には珍しく言動に裏表がない。タレントを商品と考えず苦楽を共にする家族と捉えていた」

 福田さんは専務として相澤社長を立てた。遺志を継ぐかのように語り出したのは相澤さんが2013年に83歳で他界した後だ。週刊新潮の取材にも応じ、例えばタレントに対する姿勢について〈相澤が下宿生活させたのは、一つは親御さんを安心させるため。一緒に御飯を食べ、悩みなどを聞き、精神薫陶を授けて育てるのが彼のやり方です。(中略)女性アイドルは、自分の娘のように育ててきました〉などと語り口は明瞭だった。

松田聖子の実家に

 福田さんは進駐軍キャンプの演奏で活躍。60年代初めに西郷輝彦のバックバンドでドラマーを務め、相澤さんと意気投合した。

 サンミュージック創業時から縁のある芸能レポーターの石川敏男さんは思い返す。

「新宿の狭い部屋を拠点にタレント探しから始まり、浪人生の森田健作が専属タレント第1号に。芸能界に興味がなく親も反対していたのを、二人は実直に説得した。若者を預かり人生を左右する責任を感じ、スターになれなくても恥ずかしくない大人に育てようとした。若い私にも森田の可能性を真剣に聞いてくる。人たらしではなく誠実で心をつかむ。力になろうと森田に来たファンレターの返事の宛名を私も書きました」

 桜田淳子や松田聖子の実家を訪ね、親の意向や家庭の雰囲気を理解したのも福田さんである。

「相澤さんには第一印象で才能を受け止めるセンスがある。福田さんは具体的な交渉事も得意。タレントのあいさつ回りに福田さんが同行していた」(反畑さん)

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