「守ってやれなかった後悔と共に、その光景が…」 福田時雄さんが生前語っていた岡田有希子さんへの思い【追悼】

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守ってやれなかった後悔

 福田さんの名が知れ渡ったのは、86年、岡田有希子さんが自ら命を断った時である。後に「週刊新潮」に〈あの日、屋上にはスリッパが綺麗に揃えられていました。病院から有希子がそのまま履いてきたものです。守ってやれなかった後悔と共に、その光景は今でも鮮明に覚えています〉と語っていた。

 自宅で手首を切り病院に搬送された岡田さんを、駆け付けた福田さんは事務所に連れて帰る。外出中の相澤社長からの電話に出るため、席を外した間に彼女は屋上から身を投げた。部屋には付き人もいたが彼女はトイレに行ったと思っていた。

自分ばかりを責めていた

 さらに89年、聖子が独立。

「周囲が聖子を恩知らずと批判しても、彼女が決めた生き方だからと二人はむしろかばった」(反畑さん)

 92年には桜田淳子が統一教会の合同結婚式に参加、09年には酒井法子が覚醒剤所持で逮捕と、苦難は続く。

 元芸能レポーターの藤田恵子さんは振り返る。

「私がレポーターを辞めた時、福田さんから“あなたはきつくて厳しかった。でもタレントを思い、救う言葉が入っていた。私もタレントも考えさせられ、助けられた思いだよ”と言われたのが忘れられません。事務所が大きくなっても家庭的な温かさは保たれていた。タレントをわが子のように信用するあまり、思わぬ出来事が起きると、なぜ気付いてやれなかったかと自分ばかりを責めていた」

 名誉顧問になり90歳を超えても社に時折顔を見せた。経営に口出しはしていない。

 1月9日、95歳で逝去。〈相澤は、有希子のブロマイドを必ず持ち歩いていましたし、自宅にも写真がありました。(中略)有希子のことを忘れた日はないでしょう〉と述懐していた。その思いは福田さんも同じだ。

週刊新潮 2026年1月29日号掲載

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