「新党は創価学会の影が極めて色濃い」 なぜ立民側が譲歩したのか 安住幹事長は“公明党嫌い”を隠さなかった過去が

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【全2回(前編/後編)の前編】

 かたや首相が衆院解散に踏み切れば、こなた新党結成の報である。その党名に見られる「中道」は仏教用語で、かねて創価学会員が慣れ親しんだ、亡き池田大作氏ゆかりの言葉でもあった。連立を離れた公明党の一大転身が呼んだ激震。主導権を握るのは一体、誰か。

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 党勢拡大の見通しが立たない弱者同士の選挙互助会。

 そんなふうに揶揄する声も聞かれたが、最大野党の立憲民主党と、連立政権から離脱したばかりの公明党による新党の旗揚げが、ともかくも大きなインパクトをもたらしたことは疑いない。

 両者が手を組んだその名も中道改革連合は、立民の野田佳彦代表(68)と公明の斉藤鉄夫代表(73)が共同代表に就任。両党の衆院議員だけが離党手続きを進めて参加することで合意した。

 新党結成の源流は、昨年10月10日、公明が連立離脱を決めた時点にあった。

「公明は、自民党の『政治とカネ』を巡る問題への対応が不服だとして政権を離れた。しかし、背景には支持母体の創価学会に根強い“反高市”の感情があるのです」(学会関係者)

 高市早苗首相(64)は1996年、新進党公認で衆院奈良1区から出馬。公明・学会の全面支援を受け、自民候補に競り勝った。が、

「当選後、半月もたたずに新進党を離党。何ごとかと思えば翌月に自民入りし、学会、特に婦人部(現在の女性部)の強い反発を招いた経緯があります」(同)

学会嫌いを隠さなかった過去

 公明の連立離脱を受けて立民の執行部は動いた。10月21日の首班指名選挙にあたり、野田代表への投票を持ちかけたのだ。

 この時点では公明は誘いに応じず、自党の斉藤代表に票を投じた。

「公明は高市首相の退陣後を見据え、自民との再連立の余地を残していたわけです。ただ、この時のやりとりをきっかけに、公明と立民の間で将来の選挙協力も視野に入れた協議を行う気運が生まれました」(政治部記者)

 実務を担ったのは立民の安住淳幹事長(64)だった。

 その安住氏もじつは、公明・学会嫌いであることを隠さなかった過去がある。

「安住氏は“地元で演説中に学会員から石を投げられた経験がある”と周囲に語っていました。自公を敵に回した野党の候補に共通する、学会の苛烈な選挙運動への苦い思いを代弁する意図もあったでしょう。でも今回、背に腹は代えられないとばかりに連携強化へと動いたのです。公明の歴史や綱領、政策などを学ぶ勉強会を党内で開催し、両党の政策の類似点の洗い出しにも着手しました」(同)

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