「おすぎとピーコと川の字で寝た」 久米宏さんを「カープファン」にさせた親友は伝説のDJ 無名だったユーミン、佐野元春らを発掘
同じ早大だが、昼と夜
深夜放送の人気番組だったTBSラジオ「パックインミュージック」(1967~82年)は数々の人気者を生んだ。故・久米宏さんと故・林美雄さんもそう。2人は67年に同局に入社した同期。親しい友人でもあった。2人の生涯を辿ると、あの時代のスター男性アナの実像が見えてくる。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】
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ラジオとテレビで大活躍した久米さんと、ラジオ界のスターだった林さん。2人はともに早大からTBSに入った。だが入社までの経緯は随分違う。
久米さんは東芝の家電開発技術者を父親に持ち、東京都立大学附属高(現都立桜修館中等教育学校)から早大政経学部に進んだ。
林さんは自営業だった家庭の経済的事情から大学進学をあきらめ、都立第三商業高等学校に進む。
だが、林さんは子供のころから徹底したアナ志望だった。高校時代には放送部部長としてNHK杯全国高校放送コンテストのアナ部門で優勝している。どうしても夢が捨てられなかった。
林さんはアナになる決心をした。大学の入学金は働いて自分で稼ぐことにする。就職先は今も昔も一流の三菱地所。その1年間の給料と賞与を注ぎ込み、第二法学部に入学した。二部にしたのは入学後の学費も自分で稼がなくてはならなかったからだった。
「林が三菱地所にいたなんて、知らなかったなぁ」
2008年にインタビューをした久米さんは繰り返しつぶやいた。不思議そうだった。林さんは02年に他界していた。
ともに熱狂的な広島カープファン。会えば野球談議で盛り上がった。お互いに好きだった麻雀に何度も興じた仲でもあった。久米さんは自分の知らない過去が林さんにあったことが意外だったのだ。
久米さんのインタビューは1時間ほどだったが、半分くらいは林さんの話。友人思いの人だった。広島ファンになったのも林さんの影響だ。
「僕はどこのファンでもなかったんですが、あいつがアナウンス部で贔屓の広島の勝ち負けで大騒ぎしているから、こっちまで広島が気になるようになったんです」(久米さん)
これは補足しなくてはならない。久米さんはシャイだからである。自分がカッコ良く思われてしまう言葉や手柄話は口にしたがらない。
2017年に出した最初で最後の自叙伝『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』(世界文化社)には広島ファンになった理由が詳述されている。
林さんがきっかけなのは本当だが、ファンになった当時はセ・リーグのお荷物球団だったことも大きい。市民球団というところにも惹かれた。
「原爆投下から立ち直った広島の町並みも好きだった」(同書)
2006年から14年続いたTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど(ラジなん)」で久米さんは、「メディアの役割は反権力だと信じている」と口にしていた。テレビ朝日「ニュースステーション」(1985年)を知っている人なら、久米さんが反権力であったことを疑わないだろう。その分、弱者への強い思いを抱いていた。
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